「あれ?ふたりとも控えめですね?」
先輩と、ゼリーをひとつずつ持ち帰ると早速石ちゃんからツッコミが入る。
確かに、全種類制覇したくなるほど魅力的だったけど、今夜は別腹もゼリーが限界だ。
「さすがにね、重たいのは無理。ね、さっちゃん?」
「ハイ」
「食べ過ぎだよお前ら」
「あ!じゃあ言うけど、山田くんも飲み過ぎだからね?」
「知ってるよー」
山田主任は飲んでもあまり変わらないけど、先輩の指摘通り4人の中では一番飲んでいる。
「最近あんまり飲みに行けてないからだろ」
ビールから焼酎へ路線変更した博史さんが、グラスを傾けながらフォローを入れる。
「誰かさんが週末付き合い悪くなったからなー」
「んな訳ねぇだろ。山田が小遣い減らされたせいだっつの」
「……えっ?」
それはつまり……博史さんが山田主任との飲みを断って私と会ってた、てこと?
「あの、山田主任はもしかして気付いてたんですか?」
「ん?何が?」
「その、相手が私ってのは分からなくても“彼女できたのかな”とか……」
「あぁー、そういうこと?ま。何となくね」
「……そうなのか?」
「そういうもんだろ。まさか社内恋愛してるとは思わなかったけどな」
「そうそう、それよね!私だってさっちゃんから報告してくれるのずっと待ってたのにさぁー」
「だ、って……言えませんよ主任と付き合ってますなんて」
自分だってこの現状に驚いていたりもするんだから。
「確かにね。あ!ひょっとして社内で隠れてイチャイチャとか」
「しっ、してませんよ!」
「バカじゃねえの。ドラマの見すぎ」
良かった。
今回は、ちゃんと一緒に否定してくれた。
「えーそぉ?でもさでもさ。アレはあるでしょ?ねぇー山田くん!」
「あ?」
「プライベートでね?ふたりきりの時にさっちゃんが『主任っ』て呼んじゃってぇー」
「あ!あぁ、それな?『おいっ、今“主任”って呼ぶのは禁止だろ』てヤツか?」
「あぁー!もう止めてください!」
それは、過去に何度も繰り返されている会話そのもので、恥ずかしさに拍車がかかる。
「お前らそんなことやってて恥ずかしくないのかよ……」
「え?でもその恥ずかしいことやっちゃってるでしょ?」
「うるせぇよ」
「あ、佐々木さん。今、仲川主任否定しませんでしたよ?」
「ほんとだぁ」
何だかすっかり場に溶けこんでしまった石ちゃんは、佐々木先輩とも仲良くなってしまっている。
「あのなぁ。言っとくけどそこで笑ってる山田も奥さんは元うちの受付嬢だからな?」
「えっ!そうなんですか?」
そんな話、初めて聞いた。
奥様が美人だって噂は耳に入っていたけど……
「まぁね。でも残念だったな仲川。結婚した時は俺はまだ主任じゃなかったからそういうやり取りは未経験だ」
「そうかよ」
これ以上言葉を重ねても、墓穴を掘るだけだと判断したのか、主任はそれっきり黙ってしまった。
「あの、先輩。山田主任の奥様が美人だって噂は本当ですか?」
「んふふーホントホント。美人受付嬢だったもんねー山田くん?」
「えっ?いや別に普通だって」
「何言ってんの。我が社のアイドルかっさらっといて」
「へぇ」
佐々木先輩の評価がそういうことなら、本当に美人なのだろう。
「ってか、うちに受付嬢なんていたんですか?」
「昔はな。今は内線電話がぽつんと置いてあるけど、やっぱ外から帰ってきて声かけてもらうのって悪くなかったぞ」
昔を懐かしむように、少し遠くを見ながら博史さんが私の疑問に答えてくれる。
「人件費削るのが一番手っ取り早いけどね、私も受付嬢いてくれた頃が良かったなー。あ!何だったら来週から私が」
「冗談はそれくらいにしとけ」
「あーっ!ひどい!」
「いやぁ、佐々木に出迎えられたら『挨拶が小さい!』とか怒られそうだからなぁ」
「体育会系っぽいですよね、佐々木さんて」
「それ。全然フォローになってないから!石坂くん」
受付に座ってにこやかに「いらっしゃいませ」とか「お疲れ様です」「お帰りなさい」なんて挨拶をしている佐々木先輩を思い浮かべてみる。
個人的にはそんなに似合わないとは思わないけど……
「案外似合うと思いますよ、私は」
「えっ!……ホントに?」
「でも、暇な時は本当に暇みたいだから、先輩には耐えられないんじゃないかと」
忙しい時はやたら忙しくて、暇な時との差が激しいと受付嬢の経験のある友達から聞いたことがある。
佐々木先輩の性格からして……適性は、微妙だ。
「それは無理!何かしら動いてないとダメだもん」
「やっぱり体育会系じゃないですか」
石ちゃんの一言で、また輪の中が笑い声に包まれて、
それにつられて佐々木先輩も笑い声を上げている。
一緒になって笑いながらも、始まる前はこんな場を全く想像できなかったから、この明るい雰囲気に救われた気分だ。
「そろそろお開きにするか?」
「そうねー、いいんじゃない?」
ラストオーダーの時間も過ぎて、テーブルの上の料理もほぼ片付いた状態だ。
「あの!今日はありがとうございましたっ!」
空いたお皿を重ねている最中に、突如石ちゃんが立ち上がって深くお辞儀をする。
「どうしたの?急に改まっちゃって」
「いや、あの……すごく、楽しかったです」
「そりゃ、楽しんでくれて良かったよ。なぁ仲川」
「あぁ」
そう答える山田主任や博史さんの顔はとても穏やかで、
もう連れてきたことを後悔することはないと分かっていても、改めて安堵感でいっぱいになる。
「あの、吉田に渡したいものがあるんですけど」
「へっ?……私?」
急に話を振られて、石ちゃん……ではなく主任の顔を見てしまう。
「大丈夫。仲川主任にはちゃんと許可取ってあるから」
「あ……」
石ちゃんがそう言うのと、ほぼ同時に主任が私に向かって軽く頷いた。
もしかして、さっきふたりで話していた内容にも繋がるのだろうか。
「はいコレ」
「あ……」
鞄の中から出てきたのは、さっき石ちゃんと偶然出会った本屋さんのロゴが入ったビニール袋。
「買おうかどうか迷ってたじゃん?」
「えっ……それって、」
その言葉に押されて中身を確認する。
「さっちゃん、何が入ってたの?」
「あの、さっき本屋さんで見つけた好きな作家さんの新刊、です」
「へぇ」
ズシっと感じるこの重さは、上下巻の単行本だからという訳ではない。
「もしかして、私が電話してる時に買ったの?」
「そういうこと」
そう言えば、電話を終えて戻ってきた時石ちゃんは『買い物してた』と答えてたっけ。
その買い物の中身がまさか私のための物だったなんて驚き以外の言葉では言い表せない。
「本当に、もらっても……?」
送り主の石ちゃんはもちろん、左隣にいる主任の顔も交互に確認する。
声には出さず、軽くうんうんと頷いているのはどちらも同じだ。
「いいの?」
駄目押しの確認は、……博史さんに。
「俺は構わないから、好きにしろ」
「……うん」
その言葉が見せかけの強がりだと取れなくもないけれど、
みんなの前でそう言われた以上、返す言葉は一つだ。
「ありがとう、石ちゃん」
「どういたしまして」
そうして向けられる爽やかな笑顔は、ほんの数時間前の私をドキドキさせていたものだけれど……
――今は少しだけ、心が痛い
「さて。帰るか」
「そうね。あー明日からダイエットしよ!!」
「あっ!私も!!」
なんだかんだ言って、今夜は絶対食べ過ぎだ。
「とか言って、ケーキバイキングとかに行っちゃうんだろ?」
「山田くーん!せっかくの決意に水差さないでくれる?こっちはさっちゃんと違ってイイ男見つけないといけないんだから」
「え?イイ男ならここにいるじゃないですか佐々木さん」
「却下」
「はやっ!さっき年下も悪くないって言ってたのに」
「社交辞令に決まってるでしょ」
「やっぱりですか!!」
漫才みたいなやり取りを先輩と石ちゃんが繰り広げてくれているけれど、
これはきっと、さっきの湿っぽい雰囲気を一掃しようという彼の気遣いなのだろう。
「お疲れ!」
「石坂くん、またねー!」
「ありがとうございました!」
エレベーターを降りたところで自由解散になって、思い思いに挨拶が交わされていく。
石ちゃんとはここで別れたらもう当分会うことはないのは分かっていたけれど
彼個人に対してではなく、自分以外の全員に向かって声を上げた。
「おやすみなさい!」
「さっちゃん、おやすみー!」
「仲川、ちゃんと送ってやれよ」
「あぁ」
日常的に会えなくても、退職でもしない限り石ちゃんとはまたいつか会う機会があるだろう。
その時には、きっと今まで通り穏やかに会話ができるはずだ。
3人と別れて夜の道を主任とふたり、並んで歩く。
休日は普通にデートしているけれどこうやって仕事の延長のプライベートで堂々とできるのは、何だか新鮮でくすぐったい気持ちになる。
しかも、ふたりきりになってから私の左手はずっと彼の手に包まれたままだ。
「今日は大人しく帰るか」
「…………ん?」
「沙知」
「……はい?」
「お前、酔ってるだろ」
「そーですねぇー」
さっきまで気を張っていた反動なのか、急に眠気が襲ってきている。
「眠い」
「ちょっ……ちゃんと歩けよ?」
「はーい」
石ちゃんとのランチのためにと今日は少しヒールの高いパンプスをはいているから、主任の歩幅にはついて行けない。
「ったく。家ん中まで送ってやるから早く寝ろ」
「えーっ」
「何だよ」
「帰っちゃダメ」
「あ?悪いが俺は家でやることあんだよ」
もしかして、仕事持ち帰り中なのかな……?
「あっ!じゃあー、」
「ん?」
「一緒に帰る!!」
「あ?今日は自分ちに帰れって」
すごく良い思いつきだと思ったのに、あっさり否定されてしまった。
「また日曜日で良いだろ」
「ん……」
恋人だからといって、プライベートを独占するのは良くないし
博史さんにとってはそれが負担になりかねないことくらい理解しているつもりだ。
でも……。
「だって、もっと一緒にいたいもん」
こんなことを口にしてしまう私は、まだまだ子どもなのかもしれない。
「お前なぁ……」
「ごめん、なさい。……帰ります、ちゃんと」
そんなつもりはなかったけれど、重い女だって思われちゃったかな……。
「相手にしなくても怒んなよ?」
「……え?」
「そんな可愛いこと言われたら断れねーだろバカ」
「え」
可愛いという言葉を使われたけど、今のは褒めてくれた訳ではないだろう。
どっちかと言えば最後のバカ、の方に重点が置かれているのはほぼ間違いない。
表情を確認しようにも、そのまま歩幅を緩めることなく無言で早歩きされるから
転ばないように少し小走りでついていく。
駅に向かっているから当然電車で帰宅するものだと思っていたのに、主任は駅前のロータリーに停車しているタクシーの運転手さんに手を上げた。
「乗って」
「……はい」
「すみません、お願いします」
主任の住む町名と目印を告げると彼は再び黙り込む。
「……あの、」
「ん」
「電車で帰るんじゃなかったんですか?」
「俺の場合は駅から距離あるからな」
「あ……」
そう言われて初めて、主任がいつも駅まで自転車で往復していることを思い出す。
「自転車は?」
「明日取りに行くからいい」
「そ、……ですか」
私を自宅に連れて来るということを決めたその瞬間から、そんな些細なことまで即座に考えてくれていたなんて……
嬉しいけれど、ちょっと申し訳ない気もしてくる。
「ごめんなさい。あの……」
「あ?」
「迷惑だったら、その、」
走行距離的に私の自宅はまだ通り過ぎていないはずだから……
今なら、きっと間に合う。
「バカ」
「えっ」
何だかさっきからバカバカ言われてばっかりだ。
「もう遅いんだよ」
「……ん?」
言われていることの真意が、今ひとつ理解できないでいると
スッと耳元に顔を寄せられる。
「今更帰す訳ねぇだろ。バカ」
バカって言葉をささやかれたのは、今まで生きてきた中でこれが初めてかもしれない。
「あと、寝るなよ」
「……はい」
「寝たらおんぶしないと帰れねぇからな?」
「分、かりました」
さすがにそれは、ちょっとどころではなく恥ずかしい。
信号待ちの間に外を見ると、街灯に照らされた見慣れた場所が目に映る。
確か……次の信号を左折して、直進すれば数分も経たずに
主任の家に到着だ。
→(8)に続く
甘ぁーい!に、なってると嬉しいですw