続きです。
「……いつまでそうやってんの…?」
「…………」
「…なんならおっさんが行って来てあげよっか?」
レイヴンの提案にユーリは渋い顔をした。
あれから一夜明け、ユーリはレイヴンと共に下町へと抜ける坂道の手前まで来ていた。この坂を下れば下町だ。暫くダングレストの拠点で生活し、下町へは戻らない事を決めたユーリだったが、何せ手ぶらで部屋を飛び出して来てしまった。
大した荷物もないが、愛用している刀ととりあえずの生活資金は取りに戻りたい。
だが、ユーリの足は坂の手前で止まってしまっていた。
もし、まだ部屋でフレンが待っていたら。諦めて戻ろうとしているところを、途中でばったり出会いでもしたら。
そう考えると、どうにも足が動かない。まだかなり早い時間のために辺りにあまり人影もないが、それだけに見つかる可能性も高い。
ダングレストへ発つ為、早々に宿を出て来たのだったが、もしフレンが昨晩のうちに城に戻っていなかったとしたら、今頃の時間にはユーリの部屋を出なければ仕事に間に合わないと思われる。ちょうど、その時間に重なってしまったのだ。
飛び出して行ったきり戻らない自分を、恐らくフレンは捜した事だろう。宿には訪ねてこなかったから、そこは想像の範囲外だったのかもしれない。
(…いや…もしかしたら、下手に動き回ってないかも、な…)
あの後フレンはどうしただろう、と考えてみる。
『あの状況』で、男として次にどんな行動に出るかなんて簡単に想像出来る。自分も『男』だったのだ。身体はともかく、今でも意識的にはユーリは『男性』のままのつもりだ。
だから、受け入れられなかった。
フレンの、自分に対する見方は変わってしまったのだろう。だが、ユーリにとってフレンという人間は何一つ変わってはいない。フレンが女性になったわけでも何でもないし、幼馴染みで親友、というポジションに変化はない。
当然の事だがフレンは男性のままで、ユーリは自分が女性になったからと言ってフレンを『異性』として意識してはいないのだ。
そんな相手に抱き締められ、あろうことか愛の告白まで受けてしまった。
嫌悪感こそないが、かといって嬉しい訳でもない。何より完全に腕力では敵わなくなっており、抵抗できない事に恐怖すら覚えた。
なんとか逃れはしたものの、手加減なしで力一杯殴りつけた顔はおそらく酷い有様になっているだろう。その状態でユーリを捜すためにあちこち行けば、行った先々で事情を心配される事は容易に想像できる。
まさか本当の事を話しはしないだろうが、面倒を避ける為にフレンが取るであろう行動は二つ。
顔の腫れが酷くなる前に、さっさと城へ戻る。
もしくは、ユーリの部屋でギリギリまでユーリの帰りを待つ。
しかしフレンの性格上、前者は考えにくかった。例え顔を合わせづらくとも、ユーリを捜すか待つかするだろう。
後者の可能性のほうが高いと思われたので、ユーリは下町に戻るのに二の足を踏んでいるのだった。
建物の陰に身を隠すようにしながら黙って坂を睨み続けるユーリに、いい加減痺れを切らしたレイヴンが背後から再度声をかけた。
ユーリがレイヴンを振り返る。
「ちょっと〜、マジでどうすんのよ?ここでフレンちゃんが通り過ぎるまで待つつもり?もしとっくに帰ってたら馬鹿みたいでしょ、俺ら」
「そうなんだけどなあ」
「だからさ、俺様が荷物、取って来てやるって。どうせ大したもん、ないんでしょ?」
「…あいつに会ったらどうするつもりなんだよ。下手な事言ったら、余計ややこしいことになりそうなんだが」
「うーん、そりゃわかんないけど」
部屋の主であるユーリが戻らないのにレイヴンが現れたのでは、あらぬ誤解を招きかねない。これ以上の面倒事はごめんだ、と言うユーリに、何故かレイヴンはにやにやと笑っている。
不機嫌を隠す事なく、ユーリがレイヴンに聞く。
「…何がおかしいんだよ、おっさん」
「いやね、せ…ユーリもしっかり、気にしてるんだなあ、と思っただけよ」
「気にしてる?何をだよ」
「だって、ユーリは別にフレンちゃんの事は何とも思ってないんでしょ?」
ユーリがますます渋い顔をする。
「…あいつが思ってるのと同じようには、な」
「だったら別にどうでもいいじゃない。俺様との仲を誤解されたくないなんて、随分可愛らしいこと言ってくれるなあ、と思ってさ」
ユーリが眉を跳ね上げた。
「ああ?誰と誰の仲がどうだって!?バカ言ってんじゃねえぞ、おっさん!」
「だからさあ、それが嫌ならもう、ユーリが一人で部屋に戻るしかないでしょうが。おっさん、ここで待っててやるからさ。フレンがいたら全力で逃げて来……」
言葉を切ったレイヴンの表情が変わった。
「おっさん?………うわっっ、何すんだよ!?」
突如、建物の柱の陰に押し込められたユーリが声を上げた。
レイヴンがユーリの腕を引っ張って壁側に引き倒し、自らの背にユーリを隠すようにして立つ。元々ユーリのほうが高かった身長が、今ではレイヴンとほぼ同じか若干低いぐらいになっているために、何とか頭が出ない、といった感じだ。
「…おっさん、まさか」
「しーっっ!!絶対喋っちゃ駄目だからね!!」
「…………」
目の前にレイヴンの背中を見つめながら、ユーリはそろそろと身体を縮こませた。ゆったりとしているレイヴンの服のおかげで、身体は完全に隠れている筈だ。
状況は察していた。今、レイヴンがこのような行動を取る理由は一つしかない。
己の予想のあまりの的中ぶりに、ユーリは内心うんざりしていた。
やがて近づいて来た足音に、レイヴンの身体から緊張の色が滲み出るのがわかる。
足音が止まった。
聞こえて来たのは予想通りの、嫌というぐらい聞き慣れた声。
「……そんなところで何をなさってるんですか、レイヴンさん」
やや低い声は、レイヴンの様子を訝しんでの事なのか、それとも…
「よう、フレンちゃん。そっちこそどうしたのよ、こんなとこで」
「城に戻ろうとしたら、あなた方の姿が見えましたので」
レイヴンの背中が強張るのが分かった。恐らくは表情もだろう。
ユーリも同様に身体を強張らせていた。
フレンは今、何と言った?
聞き間違いでなければ、あなた『方』と言わなかったか。
まさしくそれを裏付けるかのように、一層低いフレンの声が頭上から降って来た。
「……ユーリ、君もだ。隠れてないで出て来なよ」
その瞬間、ユーリはレイヴンと壁の間から素早く抜け出し、同時に叫んでいた。
「おっさん、走れ!!」
「へ、ちょっと!?」
下町への坂へ向けて全力で駆け出したユーリをレイヴンが慌てて追い掛ける。
虚を突かれたフレンも大声でユーリを呼びながら後を追った。
「ユーリ!!」
「うるせえ、ついて来んな!!」
「どれだけ心配したと思ってるんだ!!それに何でレイヴンさんと……!?」
「着いて来んなっつってんだろ!?」
「ちょっ…と、走りながら大声で、痴話喧嘩しないでよ!!」
「何が痴話喧嘩だ!!」
坂を駆け下りながら怒鳴り合う二人を、少ないながらも外を歩く住民は皆何事かといった様子で振り返る。ユーリとフレンだけならまだしも、そこへ加わったレイヴンは自分に突き刺さる視線に嫌な汗が止まらない気分だった。
「ちょっと…!後でちゃんと、下町の奴らに説明しといてよ……!?」
「何の話だよ!!んな事よりおっさん、少しあいつの足止め、頼む」
「へ?」
気が付けば、ユーリの部屋がある宿屋のすぐ手前の路地まで戻って来ていた。
足を止めたユーリが振り返るなり、フレンに向けてレイヴンを蹴り飛ばす。
すぐさま背を向けて走り出すと、遅れて悲鳴が響いた。
「ぐっはあああ!?」
「え、ちょ…う、わあぁっっ!!」
腹を蹴られたレイヴンが後方に吹っ飛び、フレンを巻き込んで転がりながら壁に激突するのを肩越しに確認し、心の中でレイヴンに詫びながらユーリは部屋への階段を駆け上がって行った。
「う、うう…青年、酷い…」
「どいて下さい!!…それと、もうユーリは青年じゃない!!」
「しょーがないでしょーよ、癖になってんだから」
フレンはレイヴンを膝に抱えるような格好で尻餅をついていた。普段ならとりあえずレイヴンの身を案じるところだが、まるでそのような様子は見受けられない。レイヴンを押し退けて立ち上がろうとしたフレンだったが、下から腕を引かれて再び尻餅をついてしまった。
「何するんですか!」
「…足止め、頼まれちゃったからねえ」
「……………」
鋭い視線を向けるフレンだったが、レイヴンはそれを受け流して軽く笑った。
「追い掛けてどうするつもり?」
「それは…いや、それよりも何故あなたがユーリと一緒にいるんですか」
「昨日、ちょっとね。傷付いたユーリを、おっさんが優しく慰めてあげたのよ」
「……なん……です、って……?」
フレンの声に怒気が篭り、顔色が変わる。レイヴンの言葉の真意は計りかねるが、気分のいいものではなかった。
「で、ユーリは今から、俺と一緒にダングレストに行く。当分こっちに戻らないとさ」
「は!?だって戻って来たばかりですよ!!」
「…おまえさんのせいでしょうが」
「……………!!」
「おっさん、行くぞ!!」
ユーリの声に、レイヴンが素早く立ち上がる。勿論、フレンを再び突き飛ばす事は忘れない。
「!!何す……」
「ちょっと頭冷やしなさいよ」
それだけ言うとユーリの元へ向かうレイヴンの姿を、フレンは呆然と見つめていた。
ふと、ユーリと視線がぶつかる。手には見慣れた刀を携え、小さな荷袋を持った姿はあまりに軽装で、いつものこととはいえ堪らなく不安で仕方ない。
「ユーリ!ちょっと待ってくれ!!話を……!!」
しかしフレンの声を無視し、背を向けてユーリはレイヴンと共に外へと走り出て行った。
声を聞き付けて外へ出て来た下町の住民に囲まれながら、フレンはただ、二人が消えた門の向こうをいつまでも見続けていた。
「…追っ掛けてこないねえ」
「さすがに無理だろ、戻らないとまずいだろうからな、あいつも」
「結局、一晩中待ってたみたいだけど」
「知るかよ。戻らなくて正解だったぜ…」
「……まあ、いいけどね」
ユーリと並んで歩きながら、レイヴンは帝都を振り返ると深々と溜め息を零した。
「…なに、くたびれてんだよ、おっさん」
「いや、ちょっと煽りすぎたかなー、と」
「何話してたんだか知らねえけど、フォローはしねえからな」
「酷っっ!?おっさんこれでもユーリの事を心配してだね…」
ユーリは既にレイヴンを見ていなかった。
その横顔を眺めながら、またしてもレイヴンは深い溜め息を吐いたのだった。
ーーーーー
続く