「オトコノコとオンナノコの違い」の続きになります。
「とりあえず、それが今回の診察結果だよ」
手渡された書類にざっと目を通して、ユーリは大袈裟な溜め息と共にテーブルに突っ伏した。
向かいに座るフレンはその様子に慌てて立ち上がり、ユーリの隣で膝をついて気遣わしげに彼女を見上げ、力無く垂れ下がる掌を自分の両手で優しく包む。
それをちらりと見遣り、ユーリが再び大きな溜め息を吐いた。
「ユーリ!?大丈夫か?何か良くない事でも書いてあったのか?いやそれより、具合でも悪いのか?」
「……別に」
「じゃあどうしたんだ?僕はまだ詳しい話を聞いてないんだ。だからユーリ、何かあったんならちゃんと僕にも」
「ああもう、うるせえ!!説明するから手を離せ!さっさと座れ!!」
「あ、ああ」
渋々と言った感じで自分の向かいの椅子に戻って座り、真剣な表情でじっと見つめるフレンの視線に、ユーリは三度目となる溜め息を吐いたのだった。
ユーリが女性の身体になってから、そろそろ一ヶ月になろうとしていた。
初めの一週間ほどは大人しく経過観察をしていたものの、これといって体調に異常はない。星蝕み撃破後の事後処理をいつまでも他のメンバーに任せているのも心苦しいし、ギルドに依頼も入って来るようになった。
原因の究明はとりあえずリタ達に任せ、ユーリも仕事を再開したのだが、ただ一人、フレンだけがそれに良い顔をしなかった。
変化直後の不安定な様子のユーリを知るのは、フレンだけだ。
だからこそ、フレンは誰よりもユーリを心配している。恐らくは誰にも見せたことのないであろう弱い部分を見た事で、ユーリに対して今まで抱いたことのなかった庇護欲が生まれ、とにかく自分がユーリを守ってやりたい、という思いを強くしたのだ。
ユーリの「大丈夫」は信用できない。
そう言ってフレンはユーリに、医学的な見地から一度、きちんと診察を受けるようにと何度も言ってきた。だがそれをユーリは嫌がり、ギルドの依頼や下町の復興作業の手伝いにかこつけて逃げ続けていた。
しかし、先日下町の井戸が完成した際にとうとう約束をさせられ、その後診察を受けた結果を今日、ユーリの部屋までフレンが届けに来ている。
その事すら、ユーリは不満だった。
「…全く、何だってわざわざおまえが来るんだよ。こんなもん、誰かに持って来させりゃいいじゃねえか」
「だってユーリ、あれから全然城のほうに来てくれないじゃないか。だったら僕から会いに行くしかないだろう」
「こんなナリで城になんか行けるかよ。ルブランやらデコボコやらに見られたら、何を言われるか…」
「ユニオンには行ってて、何でこっちは駄目なんだ」
「仕方ねえだろ、オレにだって仕事があるんだよ。それにハリーはあの戦いの事情を知ってるしな。何か突っ込まれても話を合わせてくれるし」
「…それぐらい、僕にだって出来る」
フレンがむっとして頬を膨らませる。
「それでも、城とダングレストじゃどっちが気楽かぐらい分かるだろうが。おまえの事なら、何処にいたって聞こえて来…」
「僕も、君の活躍は耳にしたよ」
ユーリの話を遮ってフレンが口を挟む。その表情は厳しく、ギルドでの活躍について等の良い話、ではなさそうだと予想できた。
「…どんな『活躍』だよ」
「ユーリ、ダングレストの酒場から出入り禁止を食らっただろう」
「あー…その話か」
「ユニオンを通じて、僕のところにも話が来た。大体の事情は理解したけど、もう少し手加減というか、どうにかならないのか」
「しょうがねえだろ!?あいつら、人の身体をべったべたべったべた触りやがって!!何が『ほんとに女なのか確かめさせろ』だ!見りゃ分かんじゃねえか!!」
「…べ、べたべた…」
「ああそうだよ!元からチンピラみてぇな奴らだって少なくねえ。しかも酒が入ってっからますますタチが悪ぃ。手加減してたらこっちがやられちま」
「ヤラっっ……!?だ、大丈夫だったのか!?何かヒドいことされてないだろうな!!?」
「……………」
「ユーリっっ!?」
一人熱くなるフレンに対してユーリは非常に冷めた眼差しを向けた。
「…事情は理解したんじゃねえのかよ」
「何度も酔っ払いと喧嘩して、その度に店を破壊するのと大量の怪我人を出すのをどうにかさせろとは言われたけど、それなら立派に正当防衛じゃないか!!」
「…ふーん。じゃあ今後一切手加減なしでいいんだな?」
「い、いやそれは…ああ、でも…!!」
ユーリは決してフレンが考えているような意味で『やられる』と言ったのではなかったが、フレンは勝手に深読みして頭を抱え込み、何やら一人でぶつぶつ言っている。
それを横目で見ながら、ユーリはテーブルの上の書類をもう一度手に取った。
今回の診察は、単純に医師にユーリの身体を診てもらい、異常がないかどうかを知る為のものだったが、その結果を気にしているのはフレンだけではない。
ユーリの変化の原因を究明しようとしているリタも、その一人だ。
リタは魔導研究の第一人者であり、精霊や術の事であれば彼女の右に出る者はいない、と言っていい。
医学的な知識もゼロではないし診察にも立ち会っていたが、その後すぐにアスピオに戻っている。
「この結果、リタはどう思うかねえ…」
ユーリの言葉に、フレンが顔を上げる。
「…そうだ、それ。そもそもそれを聞こうと思ってたんだよ!どうだったんだ?」
「どうもこうも…」
ユーリが書類をフレンに渡し、テーブルに頬杖をついて言った。
「身体は完全に女、だとよ」
「…そうか」
「なんかなあ…そんなの分かり切ってたつもりだけどさ、改めて言われるともう、トドメ刺された気分だな」
「でも、それ以外は何の異常もないんだろう?特に何か負担があるという訳じゃないなら、とりあえず一安心だな」
「だから大丈夫だって言ったじゃねーか…」
「そんなの分からないだろ。見た目以外に、何か異常がないとは限らなかったんだから」
「リタもそんな事、言ってたな。結果が出たら知らせろってさ。…ほら、それよこせよ」
「…君が持って行くのか?」
「明後日から護衛の依頼が入ってんだよ、ハルルの近くまで。だからついでにな」
書類を渡そうとしていたフレンの手が止まった。
眉間に皺を寄せてユーリをじっと見るその瞳が、物言いたげに揺れている。
「…何だよ」
「ユーリ、もう…あまり危険な事は」
「いい加減にしろよ!!」
「ユ、ユーリ?」
突然ユーリが立ち上がり、呆然と見上げるフレンの手から書類を乱暴に奪い取る。事態が飲み込めずに目をしばたたくフレンを見下ろすその表情は、明らかに怒りの色を湛えていた。
「何なんだよ、おまえは!おかしいだろ、こないだから!!何かってえとそんな事ばっか気にしやがって…!」
「こないだ?何の事か分からないよ」
「井戸掘ってた時だよ!いきなり人の事…か、抱えて運びやがって、オレがあの後どんだけからかわれたか分かってるのか!?」
「だ、だってユーリがあんな、はしたない格好してるから!」
「気にしすぎだって言ってんだろ!!おまえが……!」
「ユーリ?」
「……おまえに必要以上に心配される度、逆に嫌になるんだよ。もう…男だった時みたいな付き合いは出来ないのか、って」
「それ…は」
「トドメだって言っただろ、さっき。はっきりとあんなもん見たら、もう『女扱いするな』って言っても無駄だろ?おまえの性格じゃ」
フレンは答えられなかった。
結果が出る前から、別にユーリが女性になっている事を疑っているわけではなかった。それでも確信が欲しかったのは事実だったからだ。
「もう『男』じゃないんだからとか、そう言われる度に情けなくなる。ほんの少しでも望みがあるならと思ってたから、医者に診せるのだって嫌だったんだよ。だから『トドメ』だ」
「ユーリ…」
「…もう仕方ねえけどな、なっちまったもんは。でもまだ可能性がないわけじゃないんだ。だからそんなに意識しないでくれねえか。…物凄く、やりづれぇ」
そう言って再び椅子に座ったユーリは、酷く疲れた様子だった。
だが、フレンにも言いたい事はある。ユーリが無自覚すぎるせいで、余計な心配事が増えるのだ。
「…そんなに言うなら、君がもう少し『女性』としての自覚を持ってくれ」
「何だと?」
「意識するなって、そんなの無理な話だ。だって…」
言葉を切ったフレンは一度俯き、すぐに顔を上げた。そして真っ直ぐにユーリを空色の瞳に映し、ゆっくりと静かに、思ったままを口にした。
「だって、君はとても魅力的な女性になってしまったんだから」
「なっ………」
「それなのに君はあまりにも自覚がなくて無防備で、見ていて不安で仕方ないんだ。現に危険な目にあってるじゃないか!」
「危険って…」
「…ダングレストで」
「あのなあ、あれはそういう意味で言ったんじゃ」
「大して違わないよ。たまたま君のほうが勝ったから良かったものの、もしそうじゃなかったらどうなるか考えた事ないのか?…殴られて終わりじゃないかもしれない。……意味は、分かるだろ」
「………」
「その服だって、ほ…殆ど見えてるじゃないか、胸が!サラシを巻くのが嫌なら、せめてもっと隠してくれ!そんなんじゃ、その…」
何か言い辛そうに口篭り、目を逸らしたその顔が、徐々に赤くなってゆく。
「…また妙な事でも考えたか」
「違う!…その、誘ってる、とか…誤解されても仕方ない、というか…」
「…あのなあ…」
既に何度目か知れない溜め息と共に、ユーリがフレンに指を突き付ける。
「それ、痴漢の被害者に『あんたの服の丈が短いのが悪い』って言ってんのと同じだろ」
「う……」
「いやそれよりもっとタチ悪ぃな。騎士団のトップがそんな考えでいいと思ってんのか」
「僕が被害者をそんなふうに思う訳じゃない!!だけど、自衛は必要だと言ってるんだ!…無用な誤解と危険を避ける為にも、もっと慎みを持ってくれないか」
「慎み、ねえ……」
ふ、と息を吐いて視線を落としたユーリに、フレンはどこか居心地の悪さを感じてしまう。
「…何?」
「それは、おまえもオレを見てそう思うって事か?…こないだまで男だったオレに?」
「……………な…」
「ガキの頃から知ってるのに…一緒に戦って来たのに、そんなにすぐに意識が変わるもんなのか…?」
自分は、ユーリをどう思っている?
意識…意識はしている。でもそれは危険な目に遭わないように気に掛けている、そういう意味で『意識を向けて』いるんであって、特別な意味は、何も…。
でもそれじゃ、この前一瞬よぎったあの考えは?
……言えない。
「…違うよ。僕は君の友人として、君が傷付くのを見たくないだけだ。それは、今も昔も変わらない。ただ…」
「ただ、何だよ」
「…ただ、心配事の内容が以前と違うのは仕方ない。それだけは、ちゃんと理解して欲しい」
「…分かったよ。…とりあえず、そういう目では見てねえ、って事か…」
後半部分は殆ど独り言だった。
「え?ごめん、よく聞こえない」
「何でもねえよ」
「…窓の鍵、開けておくよ」
「何の話だ」
「僕の部屋の、窓の鍵を開けておく。いつでも来ていいから」
「あのな…」
「いいね?何かあったら、僕に言うんだ」
「……とにかく過剰な心配は無用だ。オレもちっとは気ぃ付けるから」
「…本当に?」
「言ってるそばからそれかよ…しつこいぞ」
「今までが今までだからなあ」
「うるせえな!…ほら、これでいいんだろ!!」
ユーリが上着の合わせを鎖骨のあたりまで上げ、苦しそうに顰めっ面をする。
大きめの胸も押し潰されてはち切れんばかりになっており、これでは激しく動いたら弾けてしまうのでは、と考えてフレンはまた顔を赤くした。
「…服、変えたほうがいいんじゃないか」
「オレはこれが気に入ってんだよ!…ったく、女ってのは面倒臭えなぁ…」
「……そう、だね……」
「フレン……?」
ちりちりと、胸の奥で何かが燻っている。
その場所をぎゅうっと押さえて、今は何も考えないようにした。
ーーーーー
続く