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神社探訪まとめ

○平潟神社(12月22日)
主祭神:健御名方富命
長岡駅より徒歩10分以上。「長岡市史」には平潟諏訪神社と表記されるようにこちらは健御名方神が祀られる神社だそうです。ちけん様と呼ばれて親しまれているそうです。境内には戦没者の慰霊塔があります。
神明系の鳥居と社殿は私の好みに的中です。

○二田物部神社(12月26日・1月1日)
主祭神:二田天物部命
毎回何かあるときには必ずお参りをします。JR礼拝駅より徒歩20分以上。最近、周りにサッシがついて風貌が結構変わりました。隙間風が入らなくなるのはいいですが、なにか勿体無いですよね。(正面の彫刻は見えるようになっていました)ちなみに一ノ宮の彌彦神社に次ぐ、越後の二ノ宮です。

○市谷亀岡八幡宮(併設:稲荷神社・金比羅宮)(12月27日)
主祭神:誉田別命・神功皇后・與登比売神
市谷の駅をおり、外堀通りにでて防衛省のほうへ向かっていくと、右手に見えるのが駿台の市ヶ谷校と市谷亀岡八幡宮です。駿台市谷校の校内からもその境内が見えるくらい近くにあります。社殿は、急な階段を上っていったところにあります。階段の途中には金比羅宮と、稲荷神社が祀られています。都会のビルの合間におはします八幡様は、駿台生や道ゆくサラリーマンをはじめ、たくさんの人々を見守っていることでしょう。

○神田明神(12月27日)
主祭神:大己貴命・少彦名命・平将門
秋葉原駅の電気街口を抜け、10分ほど歩いた坂の上に神田明神はあります。関東一帯を守護するといわれます。朱塗りの門、社殿には色彩鮮やかな彫刻が施されていて目を引きました。参拝の後、電気街に寄ったのは言うまでもなく、ヨドバシカメラで買い物しましたww

○明治神宮(12月30日)
主祭神:明治天皇・昭憲皇太后
JR原宿駅降りてすぐに鎮座。都会の喧騒を抜け、一歩その境内に踏み入れればそこはまるで別世界。神代の時代とは言わぬものの、何か日本の原点を見ているような気がしました。境内の広さ、そして社殿の重厚な造りに明治天皇の偉大さを感じます。

○東京大神宮(12月31日)
主祭神:天照大神・豊受大神
飯田橋駅から徒歩約5〜10分のところに鎮座。まさに東京のお伊勢様ともいうべきところ。神明造の社殿は見ているだけで心が落ち着きます。お伊勢様はやはり別格です。明かりの灯されたそこは、まるで天照さまが本当におはしているかような神秘に満ち溢れた雰囲気でした。来年(今年)も良き一年になるようお祈り申し上げました。

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○平潟神社(1月15日、1月21日)
雪に覆われた境内ですが、参道や手水舎前などが丁寧に雪かきされてあって素晴らしいなと思いました。訪れた人を快適にもてなす。やはり、これも日本人の心ですね。神社に対する信仰心の篤さの賜物だと思いました。夜になると、社殿内に灯りがともしてあり、とても神秘的です。21日に日が暮れてから行ったときは、雪の降り止まぬその静寂の中、私は日々の喧騒を忘れその美しい風景に飲み込まれそうになってしまったくらいです。

ここから先は訪れただけとなっています。理由としては、除雪等が行き届いておらず、清めや参拝が困難であった、また、時間に限りがあったことなど・・・。参拝は雪解けの季節にまた改めてしたいと思います。

○御嶽神社(1月15日)
長岡市内。白い鳥居が目印。鳥居を過ぎると一般道路が横切ったさきに神社の入り口がある構図です。住宅街の中にまるで民家のようにその宮を構えていました。

○金比羅宮(1月15日)
長岡市内。詳細不明。

○稲荷神社(1月15日)
長岡市中島。本殿は神明造。除雪が不十分で立入るのは困難でした。


同地内には寺院も多数存在し、神仏への信仰の高さがうかがい知れます。
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○柏崎神社(1月23日)
柏崎西本町に鎮座。暗がりでよく見えなかったが本殿は流造だったような気がする。もう一度明るいときにいって確認しよう。
中越沖地震の影響か、鳥居が無く、残骸らしき石材が参道の脇に積み上げてあった。社殿も工事中で足場が丹念に組まれていた。地震の傷痕は今なお癒えないのである。
しかし、あれだけの災害を経ても柏崎のほとんどは復興を遂げてきた。これも、ひとえに柏崎の地を守護する神々が御見守りくださったからであると思われる。
余談ではあるが西山町池浦に鎮座する諏訪神社が何ヶ月か前に地震からの復興を遂げ参拝が可能となった。当時は鳥居や狛犬が破損し境内には立ち入ることが出来なかったのだ。もちろん社殿がどうなっていたかも分からない。
しかし、数ヶ月前にいった時にはそれが見違えるように直され、地震以前のように普通に参拝できるようになった。これはひとえにそこにおはする神をあつく信仰する地元住民のたゆまぬ努力の賜物であると思う。
柏崎神社もこのように多くの市民から信仰を受けて成り立っている。そもそも信仰なき所に神は存在し得ないであろう。
一刻も早く柏崎神社が復興を遂げその神々しい鳥居・社殿を拝むことができるようになることを心から願っている。
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(3月5日)刈羽の見日神社に参ってきた。見日神社は刈羽村生涯学習センターラピカの近くの小高い丘の上に鎮座している。朱祭神は大日尊。刈羽の守護神として古より信仰をあつめていることであろう。
現在は大日尊のほか大己貴命と稚日女命を合祀している。
参拝は日がくれてからだったので、細部まで見る事は不可能であった。入り口は国道116号線に面しており、一の鳥居前には車止めがあった。一の鳥居は明神系鳥居であり、参道の坂を少し登ったところに神明系のニノ鳥居がある。両者とも建設年を見ると平成20年代だったので、きっと地震で倒壊して新たに建て直されたのだと推測できる。
そこから参道はぐるりと百八十度曲がって社殿の御前にたどり着く。
社号額に書かれた「見日神社」の文字が大変勇ましく、趣深かった。大日尊の神々しさがひしひしと伝わってくるようだった。二田物部神社と同様、サッシがついており雨風には強そうな社殿である。
はなしによると、見日神社の狛犬は人面らしいのだが、確認するのを忘れてしまった。
やはり、神社は昼間に行くべきだな。
今度は下越あたりの神社を巡りたい。
括弧内は参拝日。

彌彦神社参拝記

さて、今回は彌彦神社にいってまいりました。
彌彦神社は新潟県西蒲原郡弥彦村におはします越の国の一之宮です。神聖なる弥彦山を背景に鎮座する彌彦神社は、明治時代に一度焼失し、現在は再建されたものが残っています。
主祭神は天香山命または高倉下といわれています。天香山命は、天照大神の曾孫に当たります。高倉下といえば、神武東征のときのエピソードが頭に浮かびますよね。古来より、弥彦の地では弥彦山を神の山としており、その高嶺の麓に位置する彌彦神社には篤い信仰が寄せられてきたそうです。

前置きはここまでとして、参拝記に移りましょう。
11時20分頃、所在地である柏崎市からJR越後線より、吉田駅に到着しました。昼食をとりつつ彌彦神社の大鳥居まで徒歩(約45分)。地図など持ち合わせていなかったので、ほとんど勘で道を歩いていました(汗)まあ、鳥居が見えた瞬間ホッとしましたね(笑)
この大鳥居は鋼製の両部鳥居で、高さは何と30メートルもあります。さらに社号額はたたみ12畳分の大きさがあるそうです。マジででかい。息を呑む大きさです。止め処なくその下を流れる車や人、それとは対照的にどっしりとその身を構え、微動だにしないこの大鳥居は、何か私の心に響くものがありました。 ちなみにこの大鳥居は上越新幹線の完成を記念して造られ、道ゆく人・車の交通安全を願っているそうです。
さすがにこれ以上の徒歩はきついものがあるので、JR弥彦線矢作駅から弥彦駅まで電車。やっぱり速いね、文明の利器。
弥彦駅に到着後、さっそく参道へ。一の鳥居は、これもまた両部鳥居です。この鳥居は特徴的で、真ん中の柱が地面についていないのです。根元を見ると確かに5cmほど浮いているのが分かりました。その昔、この鳥居の奉納者が鳥居の木を腐らせてしまわないように柱を地面につけずに造った、との言い伝えも残っています。
そのまま中へ入ると左手に見えるのが祓所と玉の橋です。玉の橋は、明治時代に起こった大火事の中、焼けることのなかった貴重な橋です。橋の反りが特徴的です。どうやって渡るんだろうなあれ。杉木生い茂る中に朱の橋がとても映えています。
手水舎で清めを済ませ二の鳥居、随神門へ。天候が悪くなってきて風も強かったですが、参拝客は結構居ました。

随神門をくぐるとそこは神聖なる領域。そう、そこには悠然たる弥彦山を背に、厳かに建ち構える越後の一宮がありました。私の好きな社殿は神明造や大社造といったシンプルなものなのですが、広々と羽を広げたように反り返る屋根と、細部まで施された彫刻はなんとも力強くて好きになってしまいました。そしてまず何よりも、この雄大な弥彦山の麓というロケーションは、神寂びた社をさらに引き立ててくれます。
さすがは越後の一之宮。明治時代に社殿を含めすべて焼失してしまったにもかかわらず、鳥居、手水舎、随神門、そして社殿の全てをここまで立派に再建できたのはきっと、地元住民によって古から引き継がれてきた彌彦に対する篤い信仰の賜物ではなかろうか。 
ちなみに、学生社出版の彌彦神社編「彌彦神社」によると、古来からの言い伝えによって、彌彦神社は出雲大社と同じく、2礼4拍手1礼をするそうです。私もそれに倣ってお参りいたしました。

今回は、 彌彦の信仰心の原点を感じた神社探訪となりました。
さて次はどこへ行こうかな。

とある音楽の私的評価


fripSide(第二期)のファーストアルバム、「infinite synthesis」が12月1日発売。

fripSideファンの私はもちろんAmazonにて既に予約をしました(笑)
satさんのエレクトリックであたかも近未来のようなトランス系楽曲はファーストシングルの「only my railgun」を聴いたときから私の好みに的中していると思いました。まさに、fripSideの曲は私の探し求めていた音楽そのもののような気もします。
satさんの楽曲は特に、電子音楽の中でも温かみや親近感がもてるものだと思います。なんというか、電子音の一つ一つに表情があると言えばいいのでしょうか。
ほかの電子音楽はみな、無機質な箱が奏でるプログラム化された無味なメロディーやリズムが多いのです。しかし、satさんの楽曲には、無機質な音楽媒体に命が吹き込まれていると思います。彼の作り出した心地の良いリズム、メロディーは心に浸透し、体中を光の速さで駆け巡ります。特にそれが感じられたのは「only my railgun」や「late in autumn」(途中のギターメロディーに心を打たれました)でした。
さらに忘れてはいけないのが南條さんのボーカルです。これも私の好みに的中していました。 まず、satさんの楽曲にマッチする歌手はこの世界のどこを探しても南條さんしか居ません!ユーロビート・トランス的なsatさんの楽曲をさらに近未来的に、私たちの想像を超えた境地に引き上げてくれているのです。
まさに刺激的な歌声!と称すべきでしょうか。ほかの曲は何回も聞いていると飽きてしまうことが多いですが、彼女の歌は聴くごとに耳に、そして心に刺激を与え、飽きるどころかさらに好きになってしまいます。私がビビッときたのは「future gazer」です。初めて聴いたとき、この歌声だけを聴いてfripSideだとすぐに分かりました。もちろんそれがきっかけで「future gazer」のシングルも手に入れました。
そしてなによりも南條さんはかわぇ…(ちょい自重)いいや、カッコ可愛いんです。「infinite synthesis」もジャケットを見た瞬間欲しいなと思いました。
いつもながらPVは凝ってますよね。「future gazer」のはかなり好きです。ネタばれになるのであまり深くは言いませんけど、落ちには毎回笑います。しっかしあの人は予想外だったなぁ。

さて、今回はfripSide第二期のファーストアルバムということで、
「infinite synthesis」が発売となります。今回はどのようなメロディー・歌声を私たちに届けてくれるのでしょうか。期待です!

戸隠神社参拝記

昨日11月7日に長野県の戸隠神社に行ってまいりました。
ご存知のとおり、戸隠神社奥社にはあの天岩戸をお開きになった天手力雄命が祀られております。天手力雄命が投げた岩戸が、戸隠の山であるとも言われています。
戸隠神社は全て5社あるのですが、今回は、中社、奥社、九頭龍社をお参りしました。
まずはじめに中社に参りました。車道から少し入ったところにある鳥居をくぐるとすぐ木立の中に入り、雰囲気ががらりと変わります。まさに神秘の世界に私をいざなうようでした。手水舎で身体を清め、いざ中へ入りました。
中社には天八意思兼命が祀られております。天八意思兼命は天岩戸を開くために様々な方法を考えたという、知識・思慮の神様です。今日のテストのこともあったのでお見守りくださるようお願いしました。(結果は・・・はてさてどうでしょう)
中社には樹齢700年という大木があり、御神木として大切にされていました。
次に奥社に参りました。このとき既に時刻は午後3時半。家に帰ることを考えると、少し心配になる時刻です(汗)
奥社はおよそ2キロの参道を歩いた先にあります。この2キロも神社探訪の楽しみなのですが・・・、私たちには時間が無く早足で進むこととなりました。もう少しゆっくり見ておきたかったです。
途中、中門を過ぎると、江戸時代に植えられたという巨大なスギの並木道となっていました。神格高い戸隠の地をさらに引き立ててくれます。いやはや、そこは例えるなら、まるで別世界。現代社会の喧騒の中で、私たちの心の奥底にある失われかけたものが、光り輝いて私の目に見えた気がしました。
2キロの参道を進み、途中階段を上り、息を切らしながらやっとたどり着いた奥社は、戸隠の山の麓に厳かに鎮座しておりました。
さすがは天手力雄命。断崖の麓に構えたその重厚な造りの社は、とても立派であった。
背後には美しい戸隠高原の景色が一望できました。神社としての風格はその厳かな社だけが全てではありません。こういった、自然をありのままに感じられる、というのも、神社探訪のひとつの醍醐味なのかもしれません。
その後、天手力雄命を戸隠の地に鎮座させたという地主神の九頭龍神を祀った九頭龍社にお参りをして戸隠の参拝を終えました。(時間的に残りの2社は無理でした・・・次は必ず行って見せます。)

さて、次回はどこへ行こうかな。 
諏訪か出羽三山辺りに行きたいな。

鳥居


道を歩いていたら発見しました。
きっと秋の稔りを祈る鳥居なのでしょうね。
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