ガイはサンドイッチの入ったバスケットを手にマルクト軍部の廊下を歩いていた。すれ違う兵士達が足を止めて敬礼する姿に軽い会釈で返しながら、第三師団師団長の執務室へと向かう。
目的地に到着し、見張りの兵士に要件を伝えて部屋に入ると、卓上の書類に注がれていたレンズ越しの視線が此方を向いた。
「今日も軽食持ってきたぜ」
「いつもありがとうございます」
「いいんだよ。会うための口実みたいなもんなんだから」
軽食の入ったバスケットを受け取って机の上に置いたジェイドは、ガイを抱き寄せて口付ける。
ちゅ、ちゅ、と、啄むようなキスを繰り返す。次第に深く、鼻から抜ける湿った声に危機感を覚えたガイが慌てて顔を逸らしてキスを中断させた。
「おい、夜食持ってきただけなんだから、駄目だって…!」
「ええ、ですから夜食を」
「馬鹿…!夜食は俺じゃなくてあっち…!!すぐそこに見張りの兵士も居るんだぞ」
「ええ、きっと噂になるでしょうねぇ」
静かに怒鳴りながらも怒りではない感情で顔を赤くして慌てるガイの様子を見て愉快そうに目を細めたジェイドは、らしくない手つきでガイの腰から尻のラインをねっとりと撫でる。その動きにガイは眉をひそめた後、ため息を吐いて「見てたのか」と項垂れた。
昼間、ガイは有力貴族の壮年に良い話があると人気のない場所に呼び出され「自分の愛人になればいろいろバックアップしてやれる」と身体を撫でられた。
先程のジェイドの手つきはその時の男と一致していた。おそらくこちらに気付かれないよう見ていたのだろう。
「見てたならちゃんと断ったのも知ってるだろ」
「それでも汚い手で大事なものを触られたら嫌な気持ちになるでしょう。死霊使いの所有物だと噂でも立てば、軽率な行動に出る輩もいなくなると思いますよ」
ジェイドの言葉にガイは困ったように眉を顰めた。
「あんたの気持ちは嬉しいけど…やっぱり遠慮しておくよ」
「…そんなに私と噂されるのが嫌ですか?気持ちはわかりますが少し傷つきますよ」
「そういう意味で嫌な訳じゃない。ただ、自分の保身のためにあんたを利用してるみたいで嫌なんだよ」
「真面目ですねぇ、利用出来るものは利用すれば良いんですよ。」
「ホドに居た時『ガルディオス家の人間として、強く
優しく
誠実であれ』って姉上に言われてきたからな。ガルディオス家の者としてマルクトに居る以上、俺は姉上達に胸を張れる男でありたいんだよ」
ガイの言葉にジェイドはため息をついて、やれやれと言うように指先で頭を押さえた。
「本当に、貴方の姉君は教育熱心だったようですね。私とは気が合いそうにありません。」
「そうか?俺は案外仲良くなるんじゃないかと思うけど」
「それは貴方の願望じゃないですか?」
「はは、かもしれないな。じゃあ、あんまり長居しても仕事の邪魔になるからそろそろ帰るよ」
最後に触れるだけの口付けをして、別れを惜しむようにゆっくりと離れていく唇を目で追うと、ガイは少し寂しそうな困り笑顔を浮かべていた。
その表情におもわず引き留めようと手が上がるが、すぐに思い止まり、ジェイドは誤魔化すように眼鏡を押し上げた。
「では、また明日」
「ああ、また明日。バスケットの中身ちゃんと空にしといてくれよ」
先程まで纏っていた湿度のある雰囲気とは打って変わって、いつもと変わらぬカラリとした爽やかな笑顔と声色でガイは軽く手を上げながら部屋を去っていく。見張りの兵士もまさか中で男2人が濃厚な口付けを交わし、数秒前までしっとりと別れを惜しんでいたとは夢にも思っていないだろう。閉まっていく扉の隙間から見えた2人のやりとりはいつも通りだ。
以前、アニスの切り替えの早さに「女はみんな女優って本当なんだな」とガイは怯えながら驚いていたが、ガイの切り替えの早さも大概恐ろしいと思う。
噂を流す事をガイに断られてしまった以上あまり彼の意思に沿わない事はしたくないが、良い虫除けの方法はないかと思案する。彼がルークほど嘘が下手であればここまで悩む事なく自分達の噂も勝手に広まっていっただろうにと、ジェイドはため息を吐きながらガイの持ってきたサンドイッチに手を伸ばした。