NHK「こころの遺伝子・西原理恵子」を見た。
ファンにとっては周知かもしれない、西原自身の過去と「鴨ちゃん」との繋がりを紹介する内容。
以下、記憶を頼りにまとめてみる。
【西原の過去】
・幼少期、実父をアルコール依存症で亡くす
・やがて母は再婚するが、義父は生活費もタネ銭に回すようなギャンブル中毒。そして、借金を苦に義父は自殺する
・義父の死後、「ここにいたらダメになる」と、母から100万円を渡され上京
・上京するも仕事はなく、やっと決まった連載はギャンブル体験ルポ漫画。次第にギャンブルにのめり込むが「私は義父と違い『仕事』としてやっている」と自己弁護(?)していた
※西原は、自分の中の「憎しみと恐怖で真っ黒い『負の連鎖』」を自覚はしていたが、どうすることもできずにいた。
【鴨ちゃんという人】
・やはり実父がアルコール依存症で荒れた家庭に育ち、「強くならなければいけない」と戦場カメラマンを志す
・ルポライターに弟子入りし、紛争地域で活動。だが、戦争で彼の心を捉えたものは、「戦争という悲惨な現実」ではなく「戦争という悲惨な現実の中で笑って生きる人の強さ」だった
・しかし、その感覚は戦場カメラマンのものではなく、師匠から「ここはお前のいる所ではない」と諭される
【二人の出会い】
・ギャンブル漫画家として放埒な日々を送る西原と、戦場カメラマンの職を失った鴨ちゃん、タイで出会う
・西原は鴨ちゃんに「女だてらに鉄火場で大枚をはたく無頼な強さ」を見せようとするが、鴨ちゃんは「ギャンブルの何が面白い?戦場では生命が賭けられているんだ」と、西原を戦火に焼かれたアジアの村々に連れて行く
・「悲惨さから逃避するのではなく笑って現実を受け入れる強さ」を見た西原。それは鴨ちゃんにとって初めての「理解者」の訪れでもあった
【『負の連鎖』の呪縛】
・帰国した二人は結婚し、1男1女に恵まれる
・が、戦場カメラマンの途を絶たれた鴨ちゃんの絶望は深く、鴨ちゃんにとっても西原にとっても厭うべき「酒への逃避」すなわちアルコール依存症となってしまう
・西原は「家族だから、作家という人間を描く自分だから、鴨ちゃんは私が救わなければ」との思いにとらわれるが、挫折。鴨ちゃんとの離婚を決意
※当時を振り返り、西原は「ああいうのは本当の病気なので、私がどうにかできるものではなかった。ちゃんと、病院で医師の診察を受けさせるべきだった」と、また「崩れていく家庭の中で、片手で子供たち、片手で鴨ちゃんを捕まえていた。でも、『もうどちらか選ぶしかない』と追いつめられたとき、自然に子供たちを選んだ。鴨ちゃんに対しては『もうあなたは死になさい』という気持ちだった」とも語る。
【どん底でこそ、笑え】
・肉体的、精神的に衰えた鴨ちゃんは酒びたりのまま入退院を繰り返す生活だったが、ある日、かつての師匠が戦場で死亡したとのニュースを聞き、アルコール依存症の治療を決意する
・闘病生活の末、鴨ちゃんはアルコール依存症の克服に成功。鴨ちゃんと西原は事実婚のかたちで再スタートをきる
・鴨ちゃん「ただいま」西原「おかえり」
・家庭でのルールは「いがみ合わないこと、笑っていること」
・しかし、鴨ちゃんはすでに腎臓ガンに冒されており、同居再開から半年後に逝去してしまう
・「笑っていること」というルールを忘れ泣き続ける西原だったが、二人の子供たちは、そんな西原を笑わせようとしたのだった
※西原は、鴨ちゃんとの結婚生活について、「私にとっても鴨ちゃんにとっても、『けんかをしない家庭』って初めてだったんです」と振り返る。
「どん底でこそ、笑え」という言葉は「自分で自分を救おうとしない限り、自分を救うことはできない」というメッセージに感じました。
笑うという力は、他人から与えられるものではない、自分の中からしか生まれてこない力です。
「どん底」にあって、自分で自分のことを諦めたり、解決を求めて失敗してさらに失意に沈んだりしたとき、人間は「真っ黒い負の連鎖」にとらわれてしまうかもしれない。
でも、そういう時こそ「笑う」。自分の中の憎しみや恐怖に溺れるのではなく、まず笑って自分で自分を認め、受け入れる。自分を救う力は、まず自分の中に見出さなければならない。だから、「どん底でこそ、笑え」。
この言葉には、そういう意味がこめられているのではないだろうか。
上で長々とまとめをしてきたのは、西原理恵子という人は「強く生きる」ということについて「活きた言葉」を持っている、ということをわかってもらうためです。
「どん底でこそ、笑え」というのは、カウンセリングまがいのよそよそしい「他人のコトバ」ではなく、「私と鴨ちゃんと私たちの子供たちは、そうやって生きてきたし、生きていくよ」という、「自分と自分たちの言葉」である、と。
この冗長な文章は、「真っ黒い負の連鎖」に苦しむ人に「『どん底でこそ、笑え』だよ!」と伝えるためのものではありません。
ただ、そうやって生きてきて、これからも生きていく人がいる。それを知ったことを、何かに留めておきたくて書きました。