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吐く息

私の呪いの一番好きだった人から優しいメールが来て一時間迷ってメールを返したけど返信があってもなくても怖いから電源を落としてお風呂に入ったりご飯を食べたり体を動かす振りをして時間を潰して口をきけるようになったのでレンタルビデオを袋から携帯を出して電源を入れてしばらくしたら受信メールが一件。
いつも楽天やヤフーから嫌というほどメルマガが来るのに、一件だけのメールが届いていた。
ああもう死にそうにいたくてつらくてかなしくてらくだから、何も考えられなくなってわたしはほんとうに嬉しいと思っているのだろうけど、返信はできないと思う。
私の受信フォルダにこのメール一件だけにしたい。できるのか。と考えるとできると思うけれど、保存していない画像を消すことになるし、万が一受信メールを見られた場合にとても気持ち悪いと思うし、といろんな箇条書きが浮かんでくるからきっと私は何もできない。メールの返信もできない。
メールアドレスを変更することもできないし、携帯を解約することもできなくて、他社の携帯に帰ることもできないから一生iphoneを使うこともないだろう。
わたしが書くような支離滅裂な、たった何時間かの間に起こったことや感じたことを何の組み立てもせずに書きなぐるのはもはやブログとは言わないのではないか、日記とは言わないのではないかと思わないではないのだ。ただわたしは見栄っ張りで、親不知を抜かなければならなかったことも臀部にあるあざが気になることも爪を剥いだことも母親にすらいえないのである。
このようなわたしの脆弱さや虚飾性はわたしの首を絞めいつかわたしを死へと追いやるのである。
と、ここまで書いて、後半は少女地獄の筋書きではないかと気づく。
わたしは自分の自意識と個性によって自らを追い詰めたと思いながら、実は誰かの創造や想像世界をなぞることでしか精神世界を認識、構築することができないのであり、もはやただのアンドロイド的な思考を繰り返すことしかできないのである。
誰かの精神世界の上辺をなぞることでしか自分を存在させられない何の面白味も新鮮さもない細胞の塊であるわたしを、誰かの継ぎ接ぎである私は愛しく思い自己愛と自己嫌悪を繰り返し呼吸を止めるタイミングを夢想し続けるのである。

思い出したこと

高校の頃、友達と話していてホームページやブログの話になったときに、私はあまり
たくさんの人のブログは見ないのと言ったら、奇子他人に興味無さそうだもんね、と
言われた。
そういうわけじゃないんだよ、と思っていたが何も言えなかった。
彼女の言葉は、私を非難していたのだと思う。
私は頭の回転が遅く、私が今人に言われた言葉に対して何を感じたのか、思ったのか、暫く考えてみないと解からないことが多い。

その時私は、少し嬉しかったのだと思う。私が他人に興味が無いということは有り得ない。
理由は沢山あるが、私がどれだけ他人に依存し執着しているのか、ここで書くには恥ずかしすぎる。
そういう自分を認識していたからこそ、貶されているような言葉によって私はその逆の姿を他人に見せることができていることを確認したのだから。
自分の姿を晒して好悪の判断をされることはとても怖い。

今までにも何度も彼女の言葉を反芻して、その度におぼろげながら答えを出すけれど、その時の気持ちを再現できる訳ではなく、過去の記憶に寄せてただ今の自分の感情や考えを反映しているに過ぎない。
言い訳をしているだけなのだと自覚しつつも、過去を正当化せずには苦しくて生きていけない。
苦しくて。

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