話題:太宰治



太宰治と言えば、走れメロスを小学・中学くらいの時代に授業でやって知っている人が多いと思う。
走れメロスは太宰にしてみれば明るい話であり、友情など学ぶところがある話で「太宰治」の暗さを感じさせない。
しかし、いつからか「太宰治」と言えば暗くて、今回のタイトル通り人間失格だなんてイメージが先行する。文豪特有と言ってはなんだが、自殺してしまったこともイメージに直結しているのだと思う。

「太宰治が好き」なんて言ったらすごく暗いイメージが発した人にさえついて回るのだから、太宰治の暗さは驚異的なものである。

では、これを読んでいる君は人間失格を読んだことはあるのか?
まだ読んでいなくて、太宰治と聞いただけで暗いと思ってしまう君に私は人間失格をおすすめしたい。

前置きが長くなってしまったが、太宰治の人間失格について書きたいと思う。


「恥の多い生涯を送ってきました」というはしがきをとばした冒頭部は有名であろう。
人間、恥をかかずに過ごしてきたやつはいるまい。恥をかかずして生涯を送ってきたやつがいたとしたら、それはろくなやつでない、というのは私の持論であります。

この主人公、葉ちゃんは私に似ている。しかし、私に似ているなどと言ったらあの笑顔やおちゃらけた感じはこういうことだったのか、なんて憶測されてしまえば困る。が、こういうことを考えている時点で、私は葉ちゃんのような思考に陥ってしまうのだ。

分かりやすくいうと「秘密主義」というところだろうか。秘密主義とはまた違うだろうけど、そう捉えて今は話を進めるとする。

私と葉ちゃんはどうやらサービス精神が旺盛なようだ。
そのため、「嫌」などとは言えず、また何もしていなくても物事が勝手に進み、それがまた誤解というか「良い」イメージになって返ってくるのだ。本当の自分が出せないまま「道化」となりいつの間にか本当がわからなくなるという状態になっていく。私自身の話はここでは省くことにする。

本当の自分を知られるのが怖いのに、気にも留めていなかった竹一というクラスメイトに見抜かれていた(ようだ)ときは、私も途端に見抜かれたような気になって怖くなった。誰かにはばれているというのが、日常の恐怖を倍増させる。
こんな葉ちゃんだから、もし私と葉ちゃんがこの時代に同じクラスメイトであったとしても、見透かされてしまうのが嫌な葉ちゃんは、私を嫌うだろうな。いや、推測にしかならないけど、もしかしたら、葉ちゃんの人生も変わっていただろうか?
だけど、葉ちゃんは女に人生を狂わされているから、結局のところ私と友人になろうが、私が女である以上何も変わらないかもしれないか。

酒や麻薬に溺れる葉ちゃんは、人間として「失格」だろうけど、実際これは葉ちゃんが悪いのでもなく、お父さんが悪いのでもなく...誰のせいだと言える問題ではない次元のはなしだと思う。
誰かのせいにしたところで、葉ちゃんの苦しみが和らぐことはないだろう。

最後にマダムがいう「私の知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、・・・・・・神様みたいないい子でした」という部分は今の私ではうまく言葉にして言えない。ただ、すごく胸が苦しい。悲しいという感情ではまた、ないのです。

こう読んでみると、心の奥底までえぐって書いた太宰は、自分と闘ったのだと思う。何より葉ちゃんは太宰自身であろうから。自分を隠したい(世の中の汚さ、自分の醜さというのか)と感じている人間がここまで、さらけ出すにはそうとうな苦しみが伴うものです。「人間失格」に書きつづられているのは、言葉にはできない「人間」の神髄かもしれない。

あえて客観的に書くことで、多少のダメージは和らいだのかもしれない、なんてふと私は思う。

他の人の感想に「甘ったれんなむかつく」という感情を持った。と書いてあった。
その人は、まっすぐで優しい人なのだろう。
全く、葉ちゃんを擁護するつもりもない。葉ちゃんの人生に何があったとしても、結局は葉ちゃんは人間失格だ。

私は、葉ちゃんに共感するけど、その反面、心のサイレンもヴォーヴォー鳴っている。
共感できない部分というか、共感なんて言葉を使うのは違うのだ。
溶け合っているのでもない。
ただ「そこにある」というのが一番近い表現かもしれない。

もう少し外に発信しないと。

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ここまでが、別アカウントと同じ内容でした。