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基本的に自由気ままです。 ヒエンソウというのは 花言葉で 『気ままに』という 意味を持っています。 ヒエンソウの花言葉の 表しているように 僕のブログも 自由気ままです
≪雇用融解≫
『はじめに』
私は今までの短い人生の中でこのような言葉を耳にしたことがある。
「もう明日から来なくても良いよ。」 「荷物を纏めといてね。」などの『クビ』正しくは『解雇通知(勧告)』の言葉である。日本では近年、世界的な金融危機の煽りを受け、不景気が増進しており、大手の会社だけでなく、多くの会社が社会的地位を落としている物も多い。どの企業も足踏み状態であり、そうした中で日本の国内企業では、正規社員である正規労働者よりも非正規社員である非正規労働者の人口の割合が増加している。
実質的に日本人労働者の全体の3分の1が非正規労働者という結果が現実に成されている。その全体の3分の1の非正規社員によってアルバイトやパートなどの仕事がこなされている。非正規労働者は減少する求人に対して、反比例するかのように応募者数が増加している。非正規労働者だけではない。正規労働者の雇用も低下している。
故に日本の社会的な立場に立って言うならば、労働の能力の低い者を解雇し、労働の能力の高い者だけを厳選し、最低限の人員に低賃金で不況の波を乗り過ごしたい。そうすれば先の見えない金融危機を最低限の労力、少しでも安い賃金で切り抜けられるのだ。
勿論、人員削減によるリスクは高い。だが無能な非正規社員や非正規雇用とあまり変わらない労働条件・環境で雇われた……通称『名ばかり正社員』と言われる者を削ることで、有能で即戦力の人員を新たに迎え入れることが出来るというメリットもある。これを見るように会社の利益を伸ばすことを第一にとしている企業もある。
これが『日本型の雇用』なのだろうか。労働現場で違法行為や悲劇が繰り返される中、私は雇用についての実態を知るため、身近なメディアを使い、調べることにした。
『 序論 雇用を取り巻く問題 』
バブル崩壊以降の日本経済は発展と後退を繰り返し、長期の調整過程を経た日本の経済は今、2008年秋からの世界的な金融危機の広がりを受けて、景気の落ち込みは急速かつ大幅なものとなっている。これに影響を受けた労働市場が雇用形態のあり方を、見方を軽んじ始めたのだ。
何故このような事態が起こっているのか。日本は過去に失業率の低い国として全世界のメディアからの注目を浴びてきた。しかし近年の日本の失業率は2006年が『4.1』 2007年が『3.9』 2008年が『4.0』 そして2009年5月の時点で『5.2』を超えた。一時期、上昇していた失業率は社会制度の最低基準レベルまでの改善が成され、再度、低失業率の国の地位を取り戻した。そうした中で大して周りの国よりも高くない失業率であるのに自殺の急増が見られるようになった。これは失業者の大きな社会ストレスが結びついてしまった結果と考えられる。
現実的に日本では経営不振を理由に派遣社員の解雇に踏み込んでいる。解雇された派遣社員に未来が無い訳ではない。だが、不景気の企業不振の影響で雇用が減っている中、終身雇用の崩壊が論ぜられ、終身雇用の批判が成されている。手抜きでずぼらな雇用管理が働く人々の雇用不安を大きくしている。
雇用形態を知るには雇用不安の背景にある最近の雇用構造や雇用管理の変化を把握する必要がある。とくに、雇用不安の今日的特徴を明らかにするためには、終身雇用慣行を「動揺」させている雇用管理の特色、そのねらいを分析することが重要である。
雇用を調べる中で必ず議論される問題の『ホワイトカラー・エグゼンプション』についてもここで記すことにする。ホワイトカラー(White Collar)とは、白色ではなく、白い襟を意味する。つまりYシャツを着てネクタイをして仕事をする人。逆説的に言えば肉体労働ではないという事だ。エグゼンプション(Exemption)とは直訳すると「免除する」。何から、何を免除するのだろうか? 答えは「労働基準法」から「ホワイトカラー労働者」を免除、つまり除外するということです。もっと言えば「ホワイトカラー労働者」は「労働基準法」の保護を受けないと言うことだ。労働基準法は憲法25条の「生存権」、同じく憲法27条の「勤労条件の基準」を具体的に規定したもの。また民法の「特別法」として制定されたものを指す。
今日の雇用・失業問題の特質を分析するとともに、その背景にある雇用構造の変化や雇用管理の変化を明らかにし、それがいかに雇用不安に結びついているかについて検討し、雇用不安を克服する新しい雇用のありかたを探ることにしたい。そして、この事柄の示す結果、内容、雇用形態について深く追求することにする。
『 本論 雇用の問題や本質 』
現代の日本が抱えている大きな雇用問題として挙げるのならば、従来の雇用失業問題。それに加えて、正規・非正規労働者間の格差問題や、ニート、フリーター増加による若年労働者の未熟練問題などが挙げられる。
上記に挙げられた内容を細かく分析することにする。初めに前者、つまり『正規・非正規労働者間の格差問題』について考察してみる。正規労働雇用とはつまり、雇用者が使用者の元でフルタイム(規定時間)で従業する期間を定めない雇用形態を指す。非正規労働雇用とは、派遣労働や短期雇用契約など正規雇用以外の雇用形態(非正規雇用)を指している。
正規労働者である正社員(正規職員とも言う)には職務期間を設けず、定年まで雇われることが多い。それに加え、加齢とともに賃金があがる形態(いわゆる年功序列制度)が多い。福利厚生社会保障を受ける権利を有しているのが、もっともの特徴だ。
逆に非正規労働者である派遣社員(非正規の職員とも言う)は1日の中でも需要が一定しない特色を持つ(例えば、スーパーのレジでは時間帯によって必要な労働力が変わる)で働く労働者や契約の中でのみ働く労働者のことをいう。そのため、必要なときの労力としてサービス産業はフルタイム労働者よりも、非正規雇用であるパートタイム労働者の方が都合が良かった。アルバイトやパートの非正規労働者は即戦力として扱えるスキルをもっていないと正社員と同様の収入になる事は難しい。一般的に、正社員と比べ労働時間が短く、時間あたりの賃金が安い。労働基準法の適用範囲内だが、現状では多くの面において適用されているとは言い難い。福利厚生などの対象にもならないことが多い。
以上の内容が正規労働者と非正規労働者間の大きく開いた格差問題である。
次に後者、つまり『若年労働者の未熟練問題』ついて考察してみよう。現在の厳しい就職難の影響からか高卒以上の若年層、つまり、若年労働者が失業やフリーター、あるいは就業意欲を喪失した無業者……通称『ニート』になることが多くなりつつあるという現状が報告されている。これに伴い、中学、高校では少しでも社会的な仕事に慣れさせるために……通称『トライやるウィーク』や『インターンシップ』と呼ばれる社会体験学習を特別学習の一環として実地している。これは仕事に対する未熟練問題を打開する政策である。
確かにこの社会体験学習のおかげで私も社会で働く辛さを、働くという事の大事さを確かに学んだ。だがこの政策を、経験を積んだところで効果が薄いのだ。少なくとも就職氷河期と言われる現在に意味が成されないのだ。それは何故か? 働きたくても仕事が無いからだ。『仕事が無い』という言葉には少し語弊がある。自分の意見を無視し、どんな仕事でも良いと言うならば『仕事は幾らでも』ある。自分の理想を象った仕事に就きたい。そう考えるのならば今の世の中は辛い。就職の希望を遥かに下回る求人数しか無いからだ。
こうした中で高校卒業と同時になんとか無事に企業へ就職出来たが、理想とは遥かに掛け離れた仕事の内容、企業の真実や事実、上下関係の厳しさ、事業の裏側に直面し、早々に退職、転職(無論、何も無い場合も存在する)をしてしまう。退職後、新たな就職先を探す。しかし不景気の煽りを受け、求人の少ない世の中で再就職先を探す過程でフリーターや就業意欲を喪失してしまい、無業者になってしまう……ということが問題の中核になっている。
以上の内容が若年労働者の未熟練問題というものである。
私は現在の企業を見ていると企業側は非正規社員を『人』として見ているのではなく、『安い賃金で働く労働力』や『使い捨てのモノ』程度にしか見ていないのでは無いかと思う。先に述べた『経営不振を理由に派遣社員の解雇に踏み込んでいる』とするのが良い例だと思います。未曾有の恐怖を受け続ける契約社員への配慮を全く考えない企業のあり方に不信感を募らせるばかりだ。もし金融危機が今より深刻になるならば、企業は非正規社員だけでなく、正規の社員の解雇まで踏み切るのではないか?
『 結論 纏まりきれず、矛盾だらけの社会 』
正社員を襲う『ホワイトカラー・エグゼンプション』の実態。無給の長時間残業への道を開きかねない新制度。政府は虎視眈々と国会への提出のチャンスを狙っている。
そもそも私たちにとって残業とは何なのだろうか? 誰が好き好んで残業をしたいと思うだろうか? そこそこの報酬と幸せな家庭があれば、誰もすすんで残業しようとは思わないはず。残業……なんと空しい言葉だろう。誰のために残業するか? 自分のため? 同僚のため? 上司のため? 会社のため? 社会のため? 恐らくその全てだ。自分の残業代のために残業をする人も中には居るだろうしかし、殆どのホワイトカラー労働者は、結果として残業手当を貰っているだけで、残業代欲しさに残業をしている訳ではない。残業手当はせめてもの、自分のプライドの結果だと思う。パソコンによる仕事が増え、上司からは仕事の実態が見えにくくなっている事は、事実かもしれないが、昼間の時間はインターネットで遊んで、残業時間の頃に仕事をチョコッとするという問題を生みかねない。そういう従業員を全く居ないとは言わない。事実は分からないが、極々稀に居ると思う。多くの労働者は、今日の仕事は明日には残したくない。次の工程の人に迷惑をかけたくない。上司に認められたい。誰かの役に立ちたい。そんな思いの方がはるかに強いと思う。そんな善意の塊のようなホワイトカラーを、まるで馬車馬の様にこき使おうとする。私は 『日本版ホワイトカラー・エグゼンプション』には断固反対だ。
今までの社会は、国際競争の激化と経済構造の急速な再編過程のもとで、企業はこうした経営環境の変化に柔軟に対応できる体制を整えるために、固定的な労働者層を削減し、柔軟な雇用構造を構築することで労務費の「流動費化」を進めていた。このような雇用の流動化は失業者を増やし、雇用の信頼感や安定感を失わせて失業していない者の間にも雇用不安を引き起こしている。これに対して政府の雇用政策は、雇用調整助成金などの助成措置で雇用の維持・拡大をはかるとともに、他方で構造改革をスムーズに進めるため「失業なき労働移動」をめざす労働市場の規制緩和政策を推進している。しかし、このように雇用の流動化をいっそう促進するような政策は、人々の雇用不安を和らげるどころか、むしろ雇用への不安を高めているのである。しかも、雇用保険財政の悪化に対して、失業給付日数の見直しによって、一部の失業者について給付の切り下げを行おうとしているが、こうした施策は雇用不安をいっそう深刻なものとなり、人々の不信感を増大させる事実となっている。
今、求められているのは短期的にはセイフティ・ネットの拡充等の緊急対策を施しながらも、中長期的に向かうべき労働市場、雇用制度のあり方とそれと整合的な労働法制についてしっかりとした展望・方向性を持つことである。
非正規の社員だけが苦労を強いられているのではなく、正規の社員にも苦労が存在する事実を知った今、私の中での正社員に対する偏見が無くなった。正規社員は正規社員なりに、非正規社員は非正規社員なりに、『雇用のあり方』に悩まされている。
事実、非正規社員は福利厚生社会保障を受けられない。身分保障の無いという圧倒的に不利な立場に置かれ、日々、危険と隣り合わせのいう悩みを抱えている。
正規社員は『ホワイトカラー・エグゼンプション』という新制度により、願ってもいない無給の長時間残業の恐怖に怯えている。タダ働きという無駄な時間に、頭を悩ませるばかりだ。
『 あとがき 事実を知って 』
非正規社員や正規社員の垣根を越えた協和と調和の企業を創ること、これが一番の解決が容易でない問題なのかもしれない。正規社員という自由の『影』で不自由を背負う非正規社員のあり方が見直されることを私は切に願う。非正規社員も正規社員も、何の不自由も無く……永久に果たせぬ目標ではあろうが、今後も常に念頭に置いておきたい。かな〜り長いので注意
性 別 | 男性 |
年 齢 | 32 |
誕生日 | 9月16日 |
地 域 | 兵庫県 |
系 統 | ギャグ系 |
職 業 | 高校生 |
血液型 | O型 |