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ふと検索してびっくり


話題:ブログリ

久しぶりにエムブロにログインしたら、割とまだ書いている人もいるようでホッとした半面、運営さんが年末年始休暇から動いてないのにちょっと怖くなりました。このまま閉鎖の流れなのかもしれませんね……。

で、そういえばエムブロ隆盛期と同時期にブログリってあったよな、あれって今どうなってるんだろうと検索してみたところ……へ、閉鎖!?
リニューアル後の迷走っぷりまでは覚えていたのですが、閉鎖…。なんかしんみりしてしまいますね…。

使っていなかったとはいえ、一時期友人がブログリで書いてたり、ブロガーさんの記事を楽しみにしていたので、なくなっちゃったのかーとしょんぼりしてしいまいます。
諸行無常というかなんというか。

まあスマホのフリック入力と、長文書くブログって相性あまりよくないとは感じますからね。TwitterやLINEに人気が集まるのもうなづける話です。あれらは短文で日々を綴ったり、人とやりとりしますからね。

でもはてなブログはその中でも書いている人が多い印象があるんですよね。あれは人が集まる利用があるのか書きやすい仕組みがあるのか。
ちょっと調べてみようかな。

ひさびさにに

長文を書きたくなってきたのだけれど、やっぱりスマホからでは書きにくいですね。こまった。

馬鹿馬鹿しいにもほどがある

お久しぶりです。
少々毒を吐きますので、苦手な方は避けてくださいね。

話題:就職活動


只今就職活動中の身なわけなんですが、どうしても理解できない現在の就職活動の風習があります。
それは
「履歴書は手書きでなければいけない」
というもの。

私自身こうしてブログなどで文章を書いている身としては、勿論手書きよりパソコンで打った方が早いに決まっています。そしてなにより私は字が汚いのです。
とすれば当然、履歴書を書くのはパソコンの方がいいに決まっています。

しかし現状、インターネットで検索して出てくる回答と言えば
・当然手書き
・手書きの方が誠意が伝わるので手書きです
・常識でしょう
・パソコンは無機質な感じがして「本当にうちに来る気あるのかな」とおもってしまいます
などなど。
私も一時期はその回答に従い、素直に手書き履歴書を送っていました。

ですがよく考えてみてください。
・手書きの方が誠意が伝わる
・パソコンは「うちに来る気あるのかな」と思う
という二つの意見。
そもそも「誠意」って何で測るのですか? おそらくは
「字が丁寧」
「字が上手い」
という観点からでしょう。ですがそれであれば、いっそ書道有段者でも雇えばいい話だと思うのです。
まあこれは極論であるとしても、字の上手い下手や雑丁寧で判断できる「誠意」って一体なんでしょうか。
時間をかけたかどうか?
そんな時間があれば履歴書を出した先企業の情報を調べ面接対策でもした方が、よっぽど「誠意ある」対応だと思いますが。
もっともそんな対応しても見えないのですから、見える履歴書で判断するしかないのでしょう。
しかし、文字の巧拙ばかりに気をとられ、肝心の文章を本当に読んでいるのか甚だ疑問です。
それであるならば、皆一律パソコンで履歴書を書き、本当に「中身」で「誠意」を判断した方がよっぽどフェアであると考えます。
手書きの文字を判断したいならば名前だけ自筆にすれば十分ではないですか。

また、「うちに来る気があるのか」という問題に対して。
これは「離職するかしないか」という問題にも関わってくるのでしょうが、それであるならばなぜ、現在手書きで履歴書を送り働いているであろう社会人の少なからずが、転職や離職を繰り返すのでしょうか。
現時点で、手書き履歴書を送った社会人の転職・離職率が極めて低く、パソコン書きで送った社会人の転職・離職率が高い。というならば話は分かります。ですがそういったデータを出し意見を述べる方は残念ながら管見の限りはおりませんでした。
パソコン履歴書を否定するのであれば、むしろそういった前提からデータを出し比較した上で否定していただきたいものだと強く思います。

そして、「誠意」にも直結しますが「使いまわしは気分がよくない」という意見。
勿論データが残るのですから一部は使いまわしでしょう。ですが、手書き履歴書で使いまわしがないと、採用担当側は本当に信じているのでしょうか。
自己PRや今までの経験、下手すれば志望動機すら、何枚も何枚も手書きしていればテンプレートとなる元の文章を作り、それを書きうつすだけの「使いまわし」が増えていきます。
それを知ってなお、パソコンの履歴書の使いまわしを非難するのであれば、それは単なる言いがかりとした思えないのが実状です。
第一、使いまわしといっても学歴や職歴など一部でしょう。志望理由などはその企業によって書きおなしますし、PRも職種がかわれば書き変えます。
それらを知らずして、「データだから使いまわしているんだろう」などと一括りに考えるのは、少々頭が固いとしか思えないのです。

さて、ここまでは既存意見に対する反論でしたが、ここからはパソコン履歴書の利点について。

・データであるという点
まず書きなおしが容易です。学歴などは何度も書く必要性がありません。
これらの姿勢に「誠意」がないという反対意見もあるのでしょうが、効率を重視して何が悪いのでしょう。
効率がよい=誠意がないという方程式を成立させたいのであればそれに基づく客観的なデータを示していただきたいものです。
もとより採用する企業は、効率が悪いことを何度もするような社員を欲しがるのでしょうか?

・ワードやエクセルスキルが判断できる
パソコンで作る履歴書は、殆どがワードやエクセルでしょう。
パソコンで履歴書が作れるということは、こうしたスキルが少なからずあるということ。
まかりまちがっても、パソコンで文字を打つことすら難しいような社員を雇うようなことにはならず、研修の時間も無駄にせずにすむのではないでしょうか?

大きな利点としてはこの二つでしょうか。
他は反論で述べてしまいましたのでさほどありませんでした。

まあ、ここではこのように述べていますが、こういった意見を受け入れる企業は依然少数派であるという自覚もあります。
受け入れてくれるのはベンチャー企業など、若い社員が多い企業くらいではないでしょうかね。
もっと時代が進んで、デジタルに理解のある世代の社員が人事を担当してくれればよいのですが、そうもいきませんね。困ったものです。

頼むから黙って、ただ愛させてくれ


話題:名言


「頼むから黙って、ただ愛させてくれ」
という言葉を時々目にしていて、懇願する感じが片恋のようでいいなあと常々思っていた言葉だったんですが、ついさっき「元ネタはなんだ?」と検索してみたところ、意味合いは全然違う言葉でした。
とりあえず参照したURLを貼っておきます。
chie.mobile.yahoo.co.jp

この言葉はジョン・ダンという詩人の言葉で、実際の訳は「どうか後生だから、黙ってぼくに恋をさせてくれ」だったようです。これだけならまだ恋愛っぽいですが、実際には「きみは世俗の富を追い求めていろ、自分は恋人とその愛の奇跡ゆえに聖人として列っせられる(知恵袋より引用)」と歌っている詩、だそうです。えらい違いですね。


同じような勘違いを検索で正されたもう一つのケースは
「時よ止まれ!汝はかくも美しい!」
ですね。かの有名なファウストの一節です。お断りしておきますと私はファウスト未読です。内容は大体把握していますが。
この台詞も初めて見た時は恋愛の格言の一つかと勘違いしていたのですが、実際にはファウスト自身が理想とする国家の中の彼らと共に過ごしたい、その瞬間に向かってならばこう言えるだろう「時よ止まれ、汝はかくも美しい」と。という流れで言う言葉である上に、ファウストの中ではこれを言わせるためにメフィストフェレスが様々な画策をする物語でもあります(※要約と粗筋は未読者が書いたので適当です)
まあ自分の知識不足が原因ですが思い込みって怖いなあと思いました。


一つの物語に組み込まれていれば前後の関係から正しい意味に捕らえられていた言葉が、一文だけを取り出して読むことによって全く別の物語を生み出していく姿はちょっと興味深いですね。
そうやって一文から派生して作られていく思い込みの物語は、その人自身の鏡の役割を果たしているのかもとも思います。外部情報がないからこそ、その一文に情報を付加していくのはその一文を拾い上げた人そのものです。だからこそ、その人自身の内面をその一文に投影して読ませるんじゃないかと。
だからこそ、その一文が勝手に独り歩きしていくのではないか、なんて根拠のないことを考えてしまいました。
言葉って難しいですね、はい。


あ、今更感溢れていますが、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

ぐるぐるぐると。


話題:恋愛感情ってどんな気持ち?


携帯の内蔵辞書を引いたら

れんあい [恋愛]
[名・自サ変]
互いに異性として恋い慕うこと。また,その感情。

と出ました。『舟を編む』でもありましたけど辞書の恋愛定義って異性に限られるんですねえ。
そして「恋」と「慕う」を同じ内蔵辞書で引いたところ

こい [恋]
特定の異性を強く慕うこと。切なくなるほど好きになること。また,その気持ち。
したう [慕う][他]
@相手に敬愛や魅力を感じて,付き従いたいと思ったり追い求めたいと思ったりする。敬慕する。特に,目上の異性を愛する。
A愛慕する。遠く離れた故郷を懐かしんで求める。懐かしがる。
B昆虫や魚類が火を好み求める。

と出ました。まあやっぱり異性なんですねえ。セクシャルマイノリティの恋は辞書的には恋じゃないらしいです。(現在の最新の辞書では違うかも知れません)まあそもそもマジョリティーに合わせて作るのが辞書ではあるので仕方ない面もあるのかもしれませんが。
まあ今回は「恋愛感情について」なのでセクマイの話はカットで。


「恋愛」というものが「異性(あるいは特定の人物)」を「恋い慕う」ことであるということは、「切なく思」い、「魅力を感じて追い求めたいと思う」感情を「恋愛感情」と定義することができると思います。
よく、相手を思うと胸が苦しいという表現がありますが、まさにこれに該当するわけですね。


そんなわけで結論としては「胸が苦しい」と思う相手ができたらその人に恋心を抱いているというわけですね。


としめたいところですが、それじゃあんまりにもざっくりした結論なので。


恋愛感情って色々形態が変化していくものな気がします。恋しく思ったり、その人を独占したいと思ったり、その人を支えたいと思ったり、一緒にいたいと思ったり。
けれどそれだけではなくて、欲も伴うものであると思います。そう考えると恋愛感情っていびつだなとも思いますね。


離れていてとてもドライに付き合うカップルでも恋愛感情はあるんでしょうね。きっと。それはたぶん「切なく思う」感情とはまた別の恋愛感情の形なんでしょう。


恋愛感情の形なんて人それぞれだし、感情の発露の仕方も人の愛し方も人それぞれなのになんで定型の恋愛をしない人、定型の付き合い方をしない人は疎外されるんでしょうね。


あと、「情で付き合う」ようなカップルや人ってどうなんでしょう。彼らには恋愛感情があるんでしょうか。明確な定義上からは確実に外れてはいますが、それもある種の愛情ではあるのかもしれないなとも思います。そもそも恋愛の線上に結婚があるとすればいずれ情になるわけで、それが早いか遅いかの違いであるとすれば、それは恋愛感情の延長線上にある感情ともいえるのかもしれません。
いやこれは論理の飛躍がありますが。


そう考えていくと「恋愛感情」なんてものは本当によくわからないなあと思ってしまいます。掴み所がない感情ですよね。
そもそも相手を独占したい欲求は子供の独占欲と何が違うのかと問われたら、個人的には何も変わらないと思います。ただ恋愛という大義名分がついただけのもの。


感情の発露は醜いなあ。
けれどそうして誰かにぶつかれる誰かは素敵だな。


すみません、自分には縁遠い感情だったのであやふやで意味のわからない書き方になってしまいました。
ずっと前からこの感情の正体を考えていて、それでもまだしっくりくる正答をみつけていません。
恋愛感情は意味のわからない感情だと思います。だから恋愛をしている人達は眩しいです。その人達は手探りでも正答を捜し当てたわけですから。


感情に論理性を求める方がどうかしているのかもしれませんが。自分の納得する定義をいつか見つけたいものです。
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