話題:創作

どうして日本人は政治や宗教や死の話をしないのか。そこに深く根差す問題はおそらく本気になるのが苦手なところがあるからではないかと考える。
人生にきちんと向き合っていないから、「なんとなくそんな話題は楽しくないし重いし嫌だ」なんて言ってしまうのだ。これを私は思考停止と呼びたい。
政治も宗教も死も当然あなたの身の回りに存在する。避けては通れない。そう、あなたが決してやめようとしないツイッターやフェイスブックよりも、人間生活の深い深い根幹の部分に。

その面白い話を一度やめて、本当の話をしよう。

議論をしよう。




「ねえ、生き物はどうして死ぬと思う」
ふいに彼女のメイが私に言った。買い物の帰り道、手にはジャガイモやニンジン、鶏肉などが所狭しとビニールの中ひしめき合っている。
「死に理由なんてあるものか。人は生まれたら死ぬ。当たり前のことじゃないか」
「そうなんだけどさ」
彼女は当然そんなことは知っていたのだろう。そんな回答を期待しているわけではないことくらい私にだってわかった。
「でも死がなければ生の実感はないんじゃないかな。この前俺の親父の葬儀、あったろ。俺がすっ飛んで帰ったらおふくろは一切涙なんて見せなくて、『あらおかえり』なんていって、立派だと思ってたんだよ。だけど死ぬって俺にはやっぱり怖いことなんだよな。目の前で見せられて動揺してしまったんだ。お前は気づいてなかったかもしれないけど」
「何言ってるのよ。あんなにそわそわおせんべい食べて、かと思えば柄にもなく洗い物手伝ってみたり。動揺丸見えだったわ」
「そんなことないだろ!・・・いや確かにそのとおりか。親父が死んで、棺の中の顔とか見て来いっていわれてだよ。月並みだがまったくピンとこないんだ。生きてるのか死んでるのか全くわかんない。だから少し触ってみたら、ああやっぱり死んでた。この体温はもう生き物ではなかったんだ」
「生き物じゃなければ何なの」
「ううん・・・親父をモノとは呼べないしな」
「親父?元親父?」
「そんなの親父に決まってるだろ!元親父なんて・・・言えるわけないじゃないか。」
「なら体は死んでても生きてるんじゃないの」
「そんな都合よくはいかないよ」

「たぶん私もあなたも、今死んだらたくさんの人が悲しむわ。でもきっとみんなさらりと次の日にはカラオケとかに言ってFUCKだの殺すだの歌うとも思う。それが悲しいなんて言うつもりはないけども、他人の中で生きていくほどではない気がするの。それってさっきの話の定義でいうと、私は生きてるの?死んでるの?」
私は感情のない彼女の眼にうっすらと血の流れる気配を感じた。彼女の眼は冷静だが確実に生きている。目の表面を突き破って、奥底から、生命の気配を俺に伝える。

「体が生きてるうちじゃないと人の中に生きる努力もできないよ。さあカレーライスを食べてアメトーークでも見て寝ようか」
袋の中のカレーの具たちが夕日に照らされている。これが彼らのスポットライトになり得ることを祈る。(終)