2013-1-21 03:09
己を殺す事には慣れている。いや、慣れなければいけなかった。
そうでないと刺客にはなれなかったし、忍びにはなれなかったし、店主の後ろに立つ事は出来なかった。
事実だ。変えようのない事実だ。
上記したもののどれか一つでも起こり得なかったら、今の己はいない。
安穏とした平和も、己の手のひらに収まる茶器もない。
自分を司る事柄の全てが、薄い氷のような、脆い道筋の上で成り立っているのだ。
だから、私は何も考えてはいけない。
店主が愛おしそうに貴金属を撫でる指先も、朗らかな笑みを浮かべる客にも、優しく宥める店員にも、何にしても感情は持ってはいけない。
それが、私の中の境界線なのだ。
腕を伸ばせば触れる事が出きるが、触れてはいけない。
平和で幸福な時間だった。端から見れば。
しかし胸の内に秘めた想いは日に日に重さを増し、黒さを増し。ドロドロと肥溜めのように汚らわしくなっていくのも事実だ。
触れたい。
触れたい。
触れたい。
愛情を、他には与えない何かを恵んで欲しい。
私だけを見て欲しい。
誰にも貴方を見て欲しくない。
私だけを、私だけを。
……でも分かっている。
そんな事を実行したら、あの方は私を側には置いてくれないだろう。
この私だから。無言で追従する私だから都合がいいのだ。
それ以外の私では駄目なのだ。
だから、私は隠す。
ドロドロとした感情が、堰を切るまで。
「どうしたの、くれまちゃん」
名前を呼ばれるだけで心が浮き立つ。
この人の為にだけ有りたい。
この人に歓喜を。この人に酩酊を。この人に安穏を。
私の保てる全てを捧げたい。
「店主……」
声が微かに震えてしまった。
しかしそれ以上は駄目だ。
それ以上は、境界線を越える。
「ん?」
「何でもない」
そう言って私は、既に冷え切った茶を飲み干した。
「そう?」
「月が、綺麗だな、と。見ていたら、魅入ってしまっただけだ」
「んー?今日は曇りだけど?」
「月は、出ている」
貴方という月が。
闇夜にしか生きられない私を照らしてくれる月が。ここにある。
「変なくれまちゃんだねー」
貴方の笑顔が、愛おしく、憎い。
(白い薔薇も、いつかは赤く染まるだろう)