疫神の午後







薄紅色のさらさらと揺れる前髪の下で、ビー玉のような青い大きな眼が、どんな人かを知ろうとするようにじっと自分に向けられるのを見た時、沖田は、無関心にみえるが、センシティブな神楽の眼に、酷く気に入った子供を見出した。
だが、それと同時に、特に小柄ではないが、華奢な体をしているわりに、円みのある肩と脚とを持った、紅いチャイナドレスの大胆な、腿までのスリットの入った服に、黒のタイツの小さな娘に、烈しく惹きつけられるものを感じた。それは不意な愕きのようなものである。この娘は何も知らない、穢れがない。それでいて何かがある。と、沖田は思ったものだ。
それは最初、銀時に連れられて花見に来た時のことだ。神楽は銀時と土方が話している間、銀時の背中に凭れかかって、上半身を後ろ向きに捻ったり、土方の方をチラと見てから、花見団子に近寄り、それを一本さらって、頬張ったり、伸びあがるようにして銀時の肩にのしかかったりと、甘えて首に両手をまわし、かじりついたりしているのだ。
土方の鋭い眼は銀時と喧嘩腰に話していながらも、見るともなく、神楽の動きを追っていた。
沖田はしばらく唖然として、


(なんだこのガキ……)


と神楽を見ていたが、すると神楽がその視線に気づき、鮮やかな青い眼を上瞼に押しつけるように沖田をじっと見てきた。
神楽は銀時の肩に掴まって、沖田に隠れるようにして、銀時の背中ごしに頬を当てるような様子で、横顔をつけ、長い睫毛の反り返った眼を開いてじっとしていてから、また顔を出し、チラと、沖田を見て、団子をさらい、銀時の背中に隠れる。背中に隠れようとして、銀時の横をすれすれに通った時、銀時が神楽の腰のあたりに軽く撫でるように、触れる。そんな時の銀時の、無意識のような仕草に、いかにも、(大切な、宝物のような娘)と、いったような愛情が出ているのを、沖田は見た。その銀時の掌には、父親のような掌でいながらどこか、恋人の掌に紛らわしいところがある。
そんな動作を見るともなく見ている間に、沖田はこの、十三、四に見える娘に強く惹かれ、その後も遭えば事あるごとに喧嘩になるこの娘に、嫌味を言うことに不思議な歓びの、胸さわぎを覚えた。


沖田は、今年二十一歳になる。つい先月、京から帰ったばかりだが、十八歳の時より短く刈った髪は、今も王子様のようにサラサラとして、目鼻立ちの整った、相変わらず顔だけはいい男である。女のように華奢な鼻、意思的に薄い唇、無感情なガラス玉のような眼。全体的にオフビートな感じがある。真選組の隊長を務める男としては緩いが、どこか無理に強い意志で、自分を一つの、人生に嵌め込んで生きて来て、現在もそうやって生きていて、それをそのまま未来に持って行こうとしている、そんなようなところが見える。よく見ると、一点の非のうちどころのない、正常な感覚を持った男とは受け取れないところがあるのだ。サディスティックな本性は、時に癇性なほど、極端に自分を抑制している男の持つ、見る者に迫ってくるようなものを持っている。どこかに狂気な匂いさえ持っている、中肉中背の、鍛え抜かれた男だ。隊服の上からは逞しい、筋骨質なカラダに見える。見かけだけは、精悍な美丈夫といっていい男盛りな年齢だ。


カウンターに置いた神楽の、薄い静脈が、透き通って見える。ミルク色の掌を、横に椅子を軋ませて擦り寄った沖田が、肩越しに体を抱えるようにして、丁寧に、包帯を巻いてやっている。


「………妊娠したんだってなァ」


沖田の色の無い声に、神楽もぽつりと答えた。


「……教えてないアルよ」
「土方から聞いた」
「ふーん……」
「ショック受けてたぜィ」
「だれが、お前が?」
「まさか! 土方の野郎がだよ。お前に惚れてるもんなぁ、あの人は」
「………」
「知ってんだろィ? 土方を誑かしたくせに」


片側だけを開けた、大きな窓から、四月の温かな大気が感ぜられている。
神楽は後ろから蔽うように閉じ込められた厭な気分を、すでに感じ始めた。沖田の飄々としていながら、鬼気迫ってくるような言い方は、神楽にとっていつもの事だが、それが鬱陶しくて、五月蠅い。
先程、出会い頭に神楽を厭な眼で睨んできた沖田は、神楽の掌から赤い血が滴り落ちてるのに気付いて、ぎょっとして近くの水茶屋に連れ込んだ。馴染みの水茶屋であるらしく、店主が救急セットを沖田に渡し、こうしていま、嫌がる神楽を黙らせて手当しているのだ。先ほど、ヤクザの喧嘩に少し巻き込まれたせいで、掌を切ったのだが、それは内緒である。これが銀時にでも知れようもなら、神楽はお説教を喰らうこと間違いなしだし、あのヤクザたちは生きては帰れないだろう。新八と買物に来ていたのだが、途中ではぐれてこのザマとは、目も当てられない。
格子のある窓から、陽の光が差し込んでくる。その窓際の桟に、手編みの刺繍のある布を敷いた、外国のらしい花瓶と、見慣れない形に挿した花が挿してある。沖田の、黒い隊服からする血生臭い匂いと、その中に混じっている男の強い匂い。それらのものに、一種の重苦しい雰囲気のようなものがあって、それがどことなく、気になっている。
あの花は何て名前だろうか? 沖田は今日のことを黙っててくれるだろうか? 沖田との遭遇は楽しいものではない。それどころかいつもはウザいぐらい倦厭してるし、退屈で、沖田を押しのけて、逃げたいほどだ。
窓が開いているのに風がなくて、部屋の中は暑かった。神楽は薄赤くなった頬をちょっと仰向けて、長い薄紅色の髪を振り、椅子の上で身体を微かに、捩じった。


「妊婦のくせに、じゃじゃ馬すぎらァ」
「……うるさいネ」
「もっと体を大事にしろよ」
「わかってるネ……」
「旦那が知ったら、発狂するだろうなァ」


自分を五月蠅がっているのが判ったのか、沖田の声が一層厳しくなったように、神楽には感じられた。
沖田は、神楽の心が窓の方へ行っているのを看てとっていて、言った。


「チクってやってもいいんだぜィ」


てきぱきと手当てが終わって、沖田の囲いから解放されると、神楽は走って、窓際に行った。そうしてすぐに振り返って、沖田の顔を計るようにチラと、視るのだ。その時、カウンターに凭れて、椅子に座った沖田は、目が鋭くなり、唇はちょっと白い歯をのぞかせているが、笑っているのではない。どこか、恐ろしい顔だった。


「もう帰れよ。旦那が心配してるだろ」


神楽はいつになっても沖田に親しもうとしないのだ。それは、沖田が、神楽への執着を内に埋蔵し、それを無理に抑えていて、それが執拗な、蔽いかぶさるようなものになって、神楽に感じられるためなのだが、自分に親しもうとしない神楽を、次第に憎く思う沖田の、彼自身にも異様に思うほどの心持は、どうかすると火のようになる。


「……まだ無理アル。傷が治るまでここにいるネ」
「そうかい……」


神楽は見抜かれた顔で窓に向き、背中の辺りに拗ねたような気配を見せ、体を捻って窓辺に絡みつくような様子をするのだ。意識しないでいてやる、だがどこかで、神楽の知らないところで、意識しているようにも思われる、神楽の媚態である。


「……二階で、休むかい?」
「……?」
「部屋とってやるっていってんだよ」
「……?」


ここがいわゆる待合喫茶だということなど知らない神楽は、沖田の言葉に、二度も首を傾げて瞬くので、彼は毒気を抜かれたようになって店主を呼び寄せた。


「二階、空いてるかい?」
「空いてますよ。今日は夕方まで予約なしですぜ」
「そうかい。じゃあ、二階、使わせてもらうぜィ」


そう言って、神楽に「こっち来い」と目くばせすると、神楽を連れて奥にある階段を上がっていった。
銀時にバレたら、これも大目玉を喰らうであろうが、何も知らない神楽と、全てを知りつつ何もかも諦めている沖田には、もはや土方よりも安全な雰囲気しかない。


「……なにか食べるかい?」
「何で今日は、そんなに生易しいアルか」
「妊婦に辛くあたって、流産でもされたら大変だろィ」
「そんなやわじゃないネ」
「怪我してたやつがよく言うぜィ」
「……つーか、喫茶店アルか、ここ」
「まぁ、似たようなもんでさァ」
「ふーん……」
「で、なにか食べるかい?」


二度も聞いてやった沖田に、神楽が紫檀のテーブルに置かれていたメニュー表を見る。


「じゃあ………、このマカロン、ってのが食べてみたいアル」
「へぇへぇ」


沖田が呼鈴を鳴らして注文すると、しばらくして、店主が茶の盆を運んできた。模様のあるクリーム色の、面白い形をした盆の上に、日本陶器の茶わんが二つ、砂糖壺、ミルク入れ、銀の匙と、砂糖挟み。それに色鮮やかな洋菓子。


「さ、めしあがんなせェ」


沖田との、奇妙なお茶会が始まる。
喧嘩もせずに、こうやって二人でのんびり茶をしばくなど、以前は考えられなかったが、今日はまぁ、そういう奇跡のような日なのだろう。
何となく、世間話もなく、もくもくとマカロンを食べる。薔薇色、檸檬色、若草色、空色、と綺麗な色の洋菓子は、どこかもっちりとしていて、おしゃれな触感がした。ちゃらついたものに興味のない神楽だが、可愛いものは好きだ。
沖田は、そんな神楽を時おりじっと見ているが、特に嫌味を言うわけでもなく、自分はお茶を飲んでいた。


「マヨは、元気アルか?」
「……あ?」
「いや、ショック受けてたって言ったから……」
「知るかよ、自分で会いにいけばいいだろィ」
「………銀ちゃんが、怒るモン」
「そりゃぁ当然だろうな」


と沖田は笑った。
だが、沖田が自分に笑っているような時、神楽は、沖田の二つの眼だけが笑っていないのを見ることがある。その眼は何か、恐ろしいものを隠している眼である。神楽の眼はそれを知っている。そんな時、沖田の眼は、絶望に馴れた男のような、苦味を湛えて、暗く瞬いているのだ。沖田の笑っていない二つの眼は神楽にあてられているが、それは神楽の、神楽にもわからぬ内側にあるものに当てられていた。


(浮気してるって、意識がないんだろうなァ……。感覚的で、それにごく自然だ。この国には珍しいことだ……)


沖田は神楽が、自分の仄暗い執着を感じとっていて、それには無関心に、幾らか五月蠅く思っているのを知っていて、そんな、反抗期の子供のようなものが、思いもかけない力で、自分を惹くのを感ずる。自分を嫌ってるらしいのも、酷く可哀く思われる。だが、嫌ってはいる故に、自分の厳しい厭味に時おり反抗しながらも、一刻も早く、沖田の前から離れたがっているのを看てとると、可哀らしさと同時に、憎しみのようなものも感じずにはいられないのだ。


(せっかく二人っきりでいるのに、土方の話なんかしやがって……)


世間知らずで、箱入り娘のような所のある神楽の言動は、時に銀時を酷く怯えさせるのかもしれない。
水茶屋の意味も知らない、まだ処女のような娘だが、実際は処女ではなく、銀時にこれでもかと、毎晩烈しく寵愛されているいやらしい寵姫だ。
連れ込んだここで、まさに今襲ってやろうかと、沖田は思ったが、辛うじて妊婦であることを思い出して、自制した。
ガラス玉のような飄々とした沖田の眼に、どこかにサディスティックな色が浮かんできたのを、神楽は見て見ぬフリをしている。


「旦那だけじゃ、不満かい?」
「……え、」
「土方はやめとけよ……」
「………」
「自殺でもされたら面倒だろィ」


まさか、こんなしょうもない恋愛事で土方が命を絶つとは思わないが、恋に狂った男がどうなるかは沖田自身にも判らなかった。
この先、あの男は、正常なままいられるんだろうか。
もうとっくに、キチガイだとは思っているが、自分以上に神楽に虜になってしまった恋の奴隷は、どこまでも惨めで、沖田をうんざりさせた。


「………もう傷がなおったから、帰るヨ」
「おう、そうしな」


(俺が正気のうちに帰りな。)


沖田が何か口ごもった気がしたが、神楽は沖田のことが嫌いなので、何となく早く帰りたい一心で、立ちあがった。


「………ありがとナ、今日は」


一応、礼は弁えているらしい。
神楽が部屋からいなくなり、階段をとんとんと降りていっている音が聞こえる。
ふと、香った、新鮮な花の香りのような残り香に、沖田はすんと鼻を鳴らした。
精神が、どこか空洞になるような香(にお)いだ。
天女のような女の残り香を吸い込んで、沖田はしばらくその部屋から動けなかった。






fin


more
07/06 05:49
[銀魂]




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