2017-4-3 01:37
いけないことをする教師×生徒のいしつると、いけないことをする副会長×生徒会長のいちつるの同軸。
奔放さも生徒会設定も特に意味を為さなかった。
一度、二度、ふるりと頭が振られて乱れた髪が呆気なく定位置に戻る。少しだけ俯かれた瞳で数秒だけ虚空を見つめる無防備な横顔が癖になった。もっとも、次に紡がれるのは大概が戯言で恨言なのだけれども。
「まったく、痣になったらどうしてくれる」
「さぁ、見えない場所でよかったですな」
「きみな…」
陽も暮れた暗闇の校舎、煌々と明るい生徒会室でくきりと首を鳴らした鶴丸が呆れたように目を流してくる。突き刺さるとまではいかなくともその視線はいつだって気怠げなくせ鋭い。案の定苦言を呈す唇はさっきまでの事情を物語るように少し色付いている。白熱灯の下に白い肌は眩しく、所々赤くなっているのが痛々しいがそんなのはいつものことだ。
一期に言わせればついさっきまで自分が引き倒されていた机の上へ、何事も無かったかのように座る鶴丸の神経こそ理解できなかった。
「このところ自由すぎて手に負えないぞ」
「あなたに言われたくありません」
薄い唇から零された溜息を無視してシャツの裾をピンと引っ張り、きっちり制服を着直す。彼が掴んだせいで出来た腕の皺は学校生活にしては少々歪にすぎるが、ジャケットが隠してくれるだろう。
ぶらりと遊ばされた左脚の上に乗った右踵。不安定な素振りなど全くなく、折り畳んで寝かされた右膝へ器用に肘をつくだけで絵になるのだから美人というものは狡く出来ている。
どこか昏い薄金が見守る中、一期は最後に濃紺のネクタイをきゅっと締めて床に落ちた鶴丸のジャケットを拾う。躊躇いなく近寄ると、何も纏わない上半身、体温の燻るそこへぺちりと掌を翳す。
「いたいのいたいのとんでいけー」
「……は?」
「うちの弟達はこれで泣き止みますぞ、満足ですか」
今日彼を引き倒したことに特別な理由はなかった。いや、強いて言うなら少し苛ついていたかもしれないが今となってはどうでもいいことだ。
よ、といつも通り軽く振られた片手と細い手首を見たら情動が止められなかっただけ。もっとも、引き寄せるように掴んだ手首を纏めて頭上に押し付けた時、同じく男にしては細い腰が机とぶつかってなかなかいい音がしたなと思った記憶ぐらいはある。
行為に耽る間は何も言わなかったくせ、これ見よがしにさすってみせるそこを何度かその手の上から撫でるとジャケットを寒々しい肩へ掛ける。目を見開いた鶴丸が、ぶは、と噴き出すのと一期の手が離れるのはほぼ同時だった。
「あっはっは、それは、俺でも効くのか」
「ええもちろん」
「そりゃ、っくく…いいことを聞いた」
俯いた彼がくつくつ笑うたび、グレーのジャケットがゆらゆら揺れる。珍しく年相応に見えるその姿をほんの少し見つめて、一期は自分の鞄を取った。いい加減に帰らなければ敏い弟には不要なことまで悟られてしまう。
さっさと踵を返して扉へ向かう青い髪を涙の浮かんだ薄金が見据える。一期は決して振り返らないと分かっていて、鶴丸は薄い唇の口角を上げた。
「もう帰るのかい」
「その弟達が待っておりますので」
「好き勝手人の体を使っておいてつれないな」
「お互い様でしょう」
さっきとは違うくすりと落とされた密やかな笑い声に、ああそうだなと、楽しげな肯定が聞こえる気がした。まったく美人は狡いが、彼はその中でも一等に軍を抜いている。行為の後、恋人面のように居残られるのが嫌いなのはそちらのくせに。
◇
「五条、完全下校時刻は過ぎているんだけど」
こつり、革靴が安っぽいリノリウムに音を立てる。公立高校らしい引き戸は人一人分の隙間を開けるだけでけたたましく鳴り響くが、どうせ校舎内にはもう自分と彼しかいないのだから秘める必要などなかった。
電灯の消された生徒会室、開いた窓から吹き込む風に生成りのカーテンは緩やかにはためき、銀糸が揺らめいては月明かりに光る。会長席の机に座って片膝を抱いた生徒の瞼が声を受けてふるりと揺れると、隠された薄金が石切丸の瞳を容赦なく射抜いた。寝ていたか、考え事でもしていたか、あるいは。
「よ、センセ」
顎を膝に乗せたままゆっくりとその唇が弧を描く様から目が離せない。ベルトも締めず、とりあえずと言わんばかりにはかれたズボン、白い肌に直接掛けられただけのジャケット。ぼんやりと夜闇に浮かぶ姿は怪談話に出そうなほど美しい。
けれどまるで妖のような彼の肌へ触れれば、冷え切っていながら確かに息衝いていることを石切丸は知っている。その中に、全てを溶かすような熱量を隠し持っていることも。
「…まったく、なんて格好をしてるんだ」
「今日はちょっと暑くてなぁ」
「この季節に?」
「ああ、この季節に」
こつり、こつり、リノリウムの床が鳴る。弧を描く唇と、冷徹に見据える瞳がちぐはぐで僅かに笑ってしまう。膝を抱く腕の先、細くとも筋張った指に棒付きの飴が持たれていることが一層統一感を欠いて、同じだけ背徳感を煽る。
「見回りが私だから良かったものを」
「そりゃそうだな、俺は運が良いらしい」
「さてどうだろう」
ほとんどゼロ距離の場所で立ち止まる石切丸に薄金がすうと細まる。運だなんて白々しいにも程がある。教師の当番を予め調べていることくらいは分かっている。誰もいないことを確認し、見回りの最後にしか自分が立ち寄らないことまで全て計算に入っているくせに。
茶番のような嘘は、強かで、そのくせひどく繊細な鶴丸の心が作る防御壁だ。何度最奥まで踏み入ろうと、ぴりりと痺れるような警戒心を不躾に引き破らなければいつだって彼には触れられない。
「運が、良いのか悪いのか」
ゆっくりと言い聞かすような声が白い額に降って来る。一期の情動と石切丸の情感は酷く似ていて、恐ろしく違う。それが、いつも鶴丸を掻き乱して焦らす。止まり木だなんて高尚なものは要らないと彼方此方へ飛び回っているはずなのに足を止めてしまうような、衝動とも焦燥とも付かない心地。
頬を撫ぜる掌の体温に、この教師にやめろと言われてほとんど吸っても居なかった煙草を箱ごと捨てたのはいつだったか記憶を探るが生憎と思い出せそうもない。代わりに渡されたのはよくある棒付きの飴で、子供騙しのようなそれを下らないなと思うくせ行為の後に時々舐める。
そのせいで、今も酷く口の中が甘かった。
「試してみるかい?」
「……悪趣味だな」
鶴丸が生徒会長になった頃よりも少しだけ伸びた石切丸の前髪が白い額に触れる。上向かされた先、穏やかな古代紫がゆらりと夜に彩りを変えるのにぞくりと背筋が粟立った。それが大人という生き物だからなのか、石切丸だからなのか、鶴丸には分からない。わかる必要も、ないと思う。いずれお互い何もかも要らなくなるのだ。
答えも待たずに合わさる唇はゆったりとしていて、だのに何故か、やっぱり一期に引き倒されたことを思い出す。
じくり、青痣になった腰が疼いた。