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ハート展

今日は10月27日に教育番組で放送された番組のことを、どこかに残したくてアップしたいと思います

障がいのある方が作った詩に著名人がアートを寄せる、詩とアートのコラボ、ハート展。

この日のテーマは「私の母」でした。
詩の作者は、広島在住の初枝さん76歳。
脳せい小児麻痺のため、一歳から言語と手足に障がいをお持ちです。
アートの作者は、造形作家・信耕ヒロ子さん。
初枝さんのお母様の働く姿をトウを編んで表現されてました。

初枝さんの詩です。

『 私の母 』

真っ黒で 背が低い上に
針仕事での猫背

子供を産めなかった母と
親に育てて貰えなかった私

節くれだった手の
親指の幅広いのは同じ

「ようやった!」
鼻の上のシワと汗
忘れない



初枝さんは一歳の時、当時42歳のシナさんと58歳の男性のご夫婦に養女として迎えられました。
戦前当時、障がい者の方に理解がない世間は初枝さん親子に厳しく、「この子は大きくなってもねぇ」、「元の家に帰したら?」など、心ない言葉をたくさん言われたそうです。でもシナさんは「この子は何があっても私が育てます。」と初枝さんを離さず、「そりゃもう両親とも、大事に大事に育ててくれました。」と当時を振り返り、初枝さんは話されてました。

初枝さんは、歩くこと、食べること、話すこと、書くこと、全て人の何倍もの努力が必要でした。シナさんは初枝さんのサポートのため、毎日一緒に学校に行かれたそうです。
しかし、間もなく初枝さんのお義父様が亡くなり、シナさんは針仕事で生計をたてながら初枝さんを育てることに。

でもシナさんは決してくよくよせず、初枝さんが何かできると「ようやった!」と喜び、初枝さんは母に誉めてもらえるのが嬉しくて、なんでも頑張ろ!と思われたそうです。

シナさんは初枝さんに、常に自立を後押しされました。

初枝さんがご結婚され、不自由な手で子育てを始める時も、シナさんは励まし続けられました。
しかし、初枝さんの長男さんが一歳の時、シナさんは脳梗塞で倒れられました。

初枝さんの育児と介護の大変な日々が始まります。

でも
『これでやっと、母に恩返しと償いができると思いました』
この時のことを、初枝さんはそう言われました。
30年間、自分のために苦労してきた母に、初枝さんはずっと重い罪を感じていたそうです。
当時、初枝さんは就職も思うようにいかず、「自分は必要のない人間や」と感じ、また、シナさんが倒れられたことは『自分のせいや』と思われたそうです。


戦前、戦中、戦後、障がいのある初枝さんを支えたシナさんは、90歳でお亡くなりになりました。
初枝さんはその時まで、三人の子育てと介護の日々を歩まれました。

今年、77歳の喜寿を迎えられた初枝さんは、近くにお住まいの三人のお孫さんのお世話をしていらっしゃいます。
お孫さんのことになると、愛と喜びにあふれた笑顔になられる初枝さんは、キラキラと輝いていらっしゃいました。

神様や皆様にとても愛されるんだろうなと感じる、無垢でとても美しい笑顔をしていらっしゃいました

絶え間ない努力と感謝のお話から、生きるとは、育てるとは、という学びを下さり、私の心にキラキラと感動を与えて下さった初枝さんに、感謝です。

初枝さんとご家族の方々、世界のたくさんの方々がいつもお幸せでいらっしゃいますように…


今からうんと感謝を込めて、夕食を作ろうと思います

昨日の爽やかな空♪



元気をもらいました(^^)
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