前作「春過ぎて」「夏の夜は」「夜渡る月の」の続編。一期一振×三日月宗近で、パロディです。
審神者はじめ、オリキャラがいます。苦手な方は、閲覧をご遠慮ください。
懲りずに、続いてます。あと一回くらいで終わりたい…orz
7.有明月
有明の月も間もなくか。そろそろ、と立ち上がりかけたところで、白い指が上着の袖をとらえた。
初めての目通り以来、三日月は時折、中将に招かれ、南の対の部屋へ渡った。一人ぼっちの退屈な青年にとって、博識なじじいは良い話相手であるらしく、あれもこれもと質問攻めにされ、話をせがまれた。
「もう少し、ここにいてくださいませんか。」
暇乞いを拒む応えにふと振り返れば、目につくものは、あたりに散らばった草紙や絵巻などの古い書物。先ほどまで、ひとしきり話の種にしていた物語たちだ。
「どうした、中将の君。今宵の語りはもはや尽きたぞ。少しは御休みにならねば人の身は保つまい。」
出来ることならば次の目通りは陽のあるうちに、と言えば、
「それはそうですけど…御昼間にお渡りいただくのは、なかなか義母上にお許し頂けなくて…。」と若い当主は年に似合わず、子どもが拗ねたような顔をして言う。
「主殿は、御身を案じているのだろう。いくら俺が抑えたとて、人によっては神気は障りになるもの。」
「嘘です、そんなの。義母上は、私の病は気の病、だらしがないだけのことと仰っておいでだもの。単に、不出来な義息が高貴なお方の御傍に上がるのがお気に召さないだけですよ。いつもそうやって私をバカになさる。」
義母の名が出ると途端に、感情的になる中将はいささか扱いにくい子どものようなところがあった。
とはいえ、幼主に仕えたこともある三日月にとっては些細なことだ。この年嵩にもなると、たいていのわがままには動じなくなるもの。さして腹を立てることもなく、慰めるように細い肩に手を置いた。
「実家(さと)が恋しいか、中将の君。」
生家にあれば、男の身でここまで侮られることもないものをと哀れな気がしてつい口にした。実際のところ、彼の実家での立ち位置までは知らない。案の定、中将は少し複雑な表情をして、首を横に振った。
「…別に。ただ、あなたとは少しでも長くお話していたいと思うだけです。三日月のさやにも見えず雲隠り 見まくぞ欲しき うたてこのころ。我ながら不思議なんだけど。」
そう言って、若主人は、珍しく微笑んで、三日月の手を取った。
男にしては細く白い中将の手に触れ、三日月はふと、あの朝垣間見た光景を思い出した。
若く美しい主を腕に抱いた一期一振の姿は、数百年の時を経ても、変わらず凛々しく映った。けれど、その昔、あの腕の中にあったのは我が身だったはずなのにという言い知れぬ口惜しさが、ちり、と胸の底を焼いた。
我ながら驚いたものだ。何かに執着する。己の中にまだそんなみずみずしい感情が残っていようとは。しかし、それは、相手を失った今にしてみればただつらく苦しいだけのものでしかない。
(いや、心変わりならばまだ救いようがあるものを。)
彼の人はまるで覚えていないのだ。恭しく差し出され、初めて触れた手。見上げてくる初々しい視線が眩しく、好もしいと思ってほほ笑んだこと。もののあわれの薄い己に焦れた、彼の人に、切なくも激しく引き留めらた宵。抱きしめる腕の強さに、生真面目な彼が傾ける思いの深さを知ったこと。
出会った時も、重ねた日々も皆、炎のかなたへと喪われてしまった。
「三日月殿?」
その人とは違う、少しとがった細い声音に、不意に我に返った。
「いや、失礼した。返しの歌をいただけるとは思ってもみなんだでな。少し驚いた。」
では、今宵また。あいまいに応えて、三日月はするりと若主人の手を離れた。
部屋を辞し、ふと見上げた空には、彼の人の髪色に似た青に抱かれた有明の月が浮かんでいた。
まんじりともせず迎えた夜明けに、一期一振はため息をつきながら床の上に身を起こした。
(あの方はまた、夕べもお褥にはお戻りでなかった。)
どちらへおいでだったのか、などと訊くまでもない。中将が頻繁に三日月宗近を部屋に招いて話し込んでいることは、母屋の庭係を務める小夜左文字から聞いていた。近頃では、夜の白む頃になって南の対からこっそりと出ていく三日月をよく見かけるという。溜息はさらに深まった。
(三日月殿の悪戯好きもさりながら、中将殿にも困ったものですな。)
審神者の意を汲んでという動機が気に食わぬのか、一期が換言しても一向に聞く様子はない。もとより丈夫ではない身で、夜毎、神気を浴びていては体に障る。それがわからぬほど無知な方ではないだろうに、何故こうも意固地になっているのか。
(どうにも御歳の割に、することが幼くていらっしゃる。これでは弟たちのほうがまだ…)
そこまで考えて、己らしくないと慌てて、考えを改める。仮にも主筋の者を弟たちと同列に見るなど、明らかに非礼だ。
身支度を整えて、広間で朝餉の支度を手伝っていると、小鉢の乗った盆を抱えた小さな影が部屋に入ってきた。
「おはよう、一期一振。今日はずいぶんと早いね。」
小夜左文字だった。そういう小夜も随分と朝が早い。もう庭の水やりも済ませてきたようだ。
「おはようございます、小夜殿。早朝より、お勤めとは感心ですな。弟たちにも是非とも見習わせたいものです。」
にっこりと笑う一期を見ても、小夜はほとんど顔色を変えずに、「そう」とだけ言って、てきぱきと配膳を始めた。
「あとは焼き物だけそろえば食べられる。粟田口のみんなを連れてきてあげて。」
そういうなり、自分も席に着く小夜を見て、一期はふと疑問を抱いた。母屋の配膳はどうなっているのだろう。いつもならば、主達の膳を運ぶ仕事を請け負う小夜が席に着くのはたいてい最後のほうなのだ。
「母屋の皆様は、よろしいのですか。」
「うん。主の分は運んだし、三日月のじいさまはまだ寝てる。藤の中将は、今朝会った時に、要らないって言ってたから。」
「そうですか。しかし、中将殿には、小夜殿と顔を合わせるほどお早いのなら、少しは召し上がっていただいたほうがいいのでは。」
起きられない状態でないのなら、と暗に促すと、小夜はほんの少し首を傾げた。
「起きてたというより、寝てなかったんだと思うよ。心つくしに ありあけの月って風情だったし。朝食の話はついでにと思って僕が訊いただけ。それにあの人、ろくに部屋から出ないから。お腹空かないんじゃない?」
この小さな人はずいぶんと気働きと雅の心得があるようだ。一期はほとほと感心した。気働きはともかく、古歌の典拠のような風雅な機転は自分でもきかせられない。やはり弟たちにも見習わせるべきだろうか。
それにしても、やはり若主人の行状には気になるものがある。
さきほど小夜が引き合いに出した歌にしても穏やかではない。さほど、文学に造詣の深くはない一期でも、その歌が有名な恋歌であることくらいは知っていた。そうであれば、小夜の言に従えば、中将は三日月に思いを寄せていることになる。
(三日月殿はお美しい方だし、中将殿も御年若ですからな。)
人ならぬものにまさかとは思うが、逆上せてしまうことがないとは言えない。いずれにしても、三日月には中将の御傍へ上がるのはしばらく控えていただかねばなるまい。
食事の膳を片付け、身支度を整えると、一期は母屋の三日月の居室へと向かった。またしても嫌な小言役を引き受けねばならぬ身に我知らずため息がこぼれた。
「つまるところ、そなたは俺に南の対へ通うのを止めろというのだな。」
「まったくとは申しませんが、少しは加減していただかないと困ると申し上げているのです。三日月殿もお気づきでしょうが、中将殿はあまり御身丈夫ではないお方なので。」
「なるほどなぁ。忠義なことよ。さようなところはまるで変わらぬ。いやはや、感服したぞ、一期一振。」
上座に坐して、パタパタと檜扇を閃かせる三日月宗近は、いつもと変わらぬ穏やかそうな笑みを浮かべ、にこにことこちらを見ている。が、一期はすぐに異変に気付いた。どうにもおかしい。目がちっとも笑っていない。
「…嫌味ですかな?」
まさか、といいつつ、ぷいとそっぽを向く。三日月宗近はもはや見るからにひどく不機嫌だった。多少の苦言は織り込み済みだったがここまで機嫌を損ねるとは思ってもみなかった一期は、内心で首を傾げた。
てっきり、年若い中将に請われた三日月が面白半分に相手をしていただけのことと思っていたのに、これではまるで恋仲を裂かれた恋人たちのような言いぐさではないか。
「主殿は、よほどそなたをお気に入りなのだな。」
「はあ…近侍は私ですが、長谷部殿もよく立ち働いておいでですし取り立てて__」
「いやいや、謙遜するな。何をするにもお前を寄越すではないか。義息殿の身の心配までお前に任せておいでとは。」
「三日月殿。今の御言葉、いかにあなたとて聞き捨てなりませんな。主殿はそのような__」
「では、中将の君にも私にも、主殿が御自らお話しなされるが筋というものではないか?」
「三日月殿…」
余りの頑なな物言いに、さすがの一期も苛立ちを覚えた。
いったい何をそんなにお怒りだというのか。彼の君に逢うなというお達しがそんなにお気に召さぬとは。
(私はただ、主家ともあなたとも円満にと願っているだけなのに。望んであなたの行状の行状を咎め立てて勘気を被りたいわけではないのに。)
理不尽だ。そう考えて、ふと疑問がわいた。
(私は、特別、このお方には嫌われたくないと、好かれたいと思っている?)
何故なのだろうか。そして、それならばどうして、わざわざ主命もでない換言を試みたのか。中将との逢瀬のことは主にはまだ知れておらず、一期が気をまわして申し出るほどでもないとも思える。それなのに何故、わざわざ気をまわして、三日月を中将から遠ざけようと思ったのか。三日月が、主に疎まれることを避けたかったからか?中将の身が気がかりだったから?心の奥底の声が、違うと答えた。
(私自身が、この人を彼の君から遠ざけたかったから?)
はじかれたように一期は顔を上げて、三日月を見た。麗人は視線に気づかないままだ。無いはずの鼓動が規則正しく早鐘を打っている。
このざわつきはなんだ。覚えがあるようでいて、どうすれば消えるのかまるで分らず拭い去れない思い。
感じたのはこれが初めてではない。空蝉のような寝所を目にしたあの夜から、折に触れて感じている心の乱れ。夜明けの間際まで、寝所に侍っていたようだと言った、小夜左文字の言が蘇る。その光景が眼底によぎったような気がした。朝もやの中、名残惜しげに袖を引く君に、この人は何と応えたのか。
感情の渦に飲まれた一期の長い沈黙を困惑と解したのか、目があった三日月は深いため息をついて、「もうよい。あいわかった。」と応えた。
「今宵、俺から話して、お許しがあるまではこれが最後とお断りするとしよう。」
「…助かります。出すぎた進言、申し訳ありませんでした。」
「何、気にするな。俺も少々立ち入りすぎた。何分、ひとりは退屈でな。」とへらりと笑う。その朗らかさに、再び、ささくれた心が疼く。
(だから、彼の君のお気持ちはわかる、とでもおっしゃりたいのですか。)らしからぬ、独りよがりな邪推だと分かっていた。
三日月はそれきり何も言わず、一期一振は乱れた心のうちを気取られる前にと、早々に部屋を出た。
母屋から離れへと続く廊に出た時、行く手に人の気配を感じて顔を上げた。
廊下の先、審神者が臙脂色の羽織を翻して、いつものようにきびきびとした足取りで歩いてゆくのが見えた。そしてその背後から感じたもう一つの気配。そこへ目をやった瞬間、一期の背筋を、そくりと寒いものがかけ抜けた。
そこにいたのは、中将だった。
廊下の端に立ちつくしたまま、去ってゆく審神者の背を、憎しみに満ちた表情で見送っている。その人の影が、二重になっているように見えた。視線を気取られたのか、中将がこちらを見た。とっさに一期は母屋の角に身を隠した。
(何だ、今のは。)
そっと様子を伺った時には、既に中将の姿はなかった。けれど、たったいま目にしたものが脳裏に焼き付いて離れない。彼の君の影にまつわりついていた「それ」は確かにそこにいたのだろうか。
いつもの穏やかな中庭に、一期はしばしただ茫然と立ち尽くしていた。月の心も、今ここにある現でさえも分からなくなりつつあった。
続.
2015-12-30 00:41