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「どういう事ですか!」
高専内を歩いていた五条に、伏黒と釘崎は詰め寄る。
2人の怒りと困惑の表情に五条はやれやれと肩を竦めた。
「あらら、耳に入っちゃったか。君達生徒には秘匿案件とされてるんだけど」
「何で止めないのよ」
釘崎の片側だけとなった瞳が、現状を信じられないと五条を訴えるように見る。
「元々、悠仁は死刑対象の身。指を全部飲むまでは執行猶予がつく、そういう条件だったでしょ」
釘崎の横にいる伏黒も受け入れられないと食ってかかった。五条は至って冷静に返す。
「虎杖は、指を全部飲んでも宿儺を完全に抑えられている。もう身体の主導権を取られる事もありません…っ」
「それでもだよ。危険分子に変わりはない」
「大体俺は、虎杖の死刑に納得したことは一度もない」
怒りを通り越して悲しみを浮かべている2人を見て、悠仁は良い友人を持ったなと五条は思う。
「恨むなら僕を恨んで良いから」
「どうにかならないんですか?」
「上はとにかく悠仁を殺したがっている。1000年の呪いを消す千載一遇のチャンスだし。…というのはそこまでって感じなんだけど…何よりも、悠仁が死刑を望んでいるんだよ」
「虎杖が?」
驚く二人だが、言葉に嘘は感じられなかった。虎杖ならそう考えるのはあり得たからだ。
「そう。実は執行を秘匿としたのも悠仁の希望だよ。君達二人には特に、ね。これが、悠仁が望んだ正しい死なんだ」
あと、それからと五条は続ける。
「悠仁から2人へ言伝。……「ありがとう、長生きしろよ」だってさ」
言葉を失う。伏黒は下を向き、釘崎は唇を噛んだ。
その姿を痛々しくも納得と受け止めてその場を後にしようとする五条に、釘崎は最後に一つ聞いた。
「ねぇ、アンタは、それで良いわけ?」
「あんな顔、初めて見た」「ああ」
五条は問いかけに答えなかった。一瞬、虚を突かれたような反応をしたが、すぐに背を向け去って行った。
残された二人は廊下に佇む。
伏黒は、昨夜、虎杖の部屋で三人で食事したことを思い出す。提案したのは虎杖だった。
宿儺の指を全て取り込んだ後、虎杖はすぐに拘束された。だが、半日で解放された。
本人は様子見で執行猶予が伸びたと話していたし、ほっとした顔と明るい様子に、それまで気が気じゃなかった伏黒は安心していた。
けれど、あれそう振る舞っていたんだなと気付く。
「あいつ、また何も言わずに勝手にいなくなるのね」
釘崎の声が震えている。窓の外を向いていているが、ガラスの反射で頬に涙が伝うのが見えた。
壁に背を預けていた伏黒は、ずるずるとしゃがみ込み、膝を抱えて顔を伏せた。
「…そういえば、アンタ気付いてた?あの二人…」
「ああ…。何となくな」
重苦しい扉を開けた。薄暗い部屋を蝋燭が揺らめいている。
夥しい数の呪符が敷き詰められた部屋の真ん中に、椅子に座らされ、後ろ手を括り付けられた虎杖の姿があった。
「悠仁」
そう声をかけると、虎杖はゆっくりと顔を上げた。
五条を見て嬉しそうに笑った。
早朝、虎杖は予定通り高専を訪れ、厳しい監視の中、自ら執行の間に入って行った。
「縄、解こうか?」
「いや、このままで良いよ。これ呪具でしょ、縛られてからアイツの声が聞こえないし表面にも出てこれないみたいだし」
静かで良い、と呟く。
「悠仁の望み通り、僕と二人きりでの執行を押し通したよ。まぁ、あいにく、監視だけはついてるけどね」
「あーやっぱ、あの烏そうなんだ。無理言ってごめんな先生」
虎杖は上を向き、部屋の天井の足場に佇む烏を見た。
烏は微動だにせず、二人を見下ろしていた。
「それから、ごめん。恵と野薔薇にばれちゃった」
「あー…。怒ってた?」
虎杖は、バツの悪い顔をしながら小首を傾げる。
「それ以上に悲しんでたよ」
「そっか」
悪い事したな、と表情を曇らせる虎杖に五条は言う。
「僕は正直まだ迷ってるよ。君をこのまま逝かせるか。僕としてはこのまま上層部を皆殺しに行ったって良い」
「駄目だって。それに言ったじゃん、死刑は俺が望んでる事だって」
3日間何度も話した事だった。
五条は無理に納得し今日を迎えていた。
「宿儺を抱えて死ぬ、やり遂げさせてくれ」
変わらない虎杖の覚悟に、ついに五条は降伏した。
「それが君の望み、正しい死、か」
「うん」
大きくため息をつき、「分かった」と答えた。かつてない憔悴を見せる五条に虎杖は申し訳なく思う。
「ごめん、先生。俺、先生に呪いをかけちゃったな。辛い役割ばかり押し付けてる」
五条は微笑みを作りながら首を横に振る。
「良いさ。君からの呪いなら喜んで受け取るよ」
それに、と五条は続ける。
「大切な人の最期に立ち会えるのは、幸福だと思っているから」
五条は目隠しを下げる。憂いを帯びた瞳が露わになる。虎杖に近づき屈むと、ゆっくりと顔を寄せた。
数秒の口付けの末、やがて、惜しむように離れた。
「監視、付いてるんじゃなかったっけ」
「構わないさ」
虎杖は、少し照れながらも嬉しかった。
「先生、笑ってよ。俺さ、先生の笑ってる顔が一番好きなんだ」
五条は、うんと頷き、精一杯の笑みを虎杖に向けた。
それを見て、虎杖は安心したように笑いながら瞼を閉じた。
「ありがとう、五条先生」
虎杖悠仁の人生は終わった。
浅い眠りから覚めるように虎杖はゆっくり瞼を開ける。見覚えのある場所を認識した直後、横っ面を蹴り飛ばされ倒れる。
ばしゃりと水しぶきがあがる。この蹴りも慣れたものだと上体を起こしながら虎杖は思った。
「よぉ」
そう声をかけられた宿儺は、憎悪に満ちた顔で立っていた。
「忌々しい小僧だ」
怒りと殺気の籠った声で吐き捨てる、
反転術式でも追いつかない程、肉体は破壊されたと察する。もはや成す術なく緩やかに死を迎えようとしていた。
肉体の死と、魂の死の間にわずかな猶予がある事、そして宿儺が引き込んでくる事は想定内だった。
虎杖は立ち上がり宿儺と対峙する。
「満足か、このような結末が」
「ああ。お前のその悔しそうなツラ見れて良かったよ」
顔を顰める宿儺に、虎杖は口元が緩む。
「ようやく終わりだ。お前は俺と死ぬんだよ、宿儺」
領域内が崩壊を始める。頭上にそびえる大きな骨が轟音を立てながら瓦解し、水に沈んでいく。
虎杖は一歩、また一歩と宿儺の目の前まで歩み寄る。
「なぁ、どんな気分だよ。大嫌いな俺に道ずれにされる気分はよ」
どこか勝ち誇ったような興奮の色を見せる虎杖に、この上ない不快感を覚え、宿儺は反射的に虎杖の首を掴みかかる。
一思いに首をへし折るか、残りの時間をかけてじわじわ苦しめて殺すか考える。
だが、虎杖は怯むことなく冷静に宿儺を見据えている。
「お前後悔ってした事あるか?」
「何の事だ」
「俺は何度も後悔したよ。自分が、人が傷付く度にあの時、指を飲まなければ良かったって。…でもな、今は違う。お前を殺せる大きな役目をもらえたから。だから俺の選択に後悔はない」
少しの間を置き、けど、と声色を落とし虎杖は続ける。
「罪を犯し過ぎた。だからこそ、償わないといけないんだよ。俺達は」
「くだらん与太話を」
宿儺は首を掴む手に力を込め始める。しかし、ふと、どこか空気が変わったのを肌で感じた。
辺りを見渡すと、領域内が暗く塗りつぶされていくのが目に入る。
まるで深い闇に侵食されているかのようだった。
「何だ…?」
それに気を取られていた宿儺は首を掴んでいた手を弾かれ、逆に襟巻を掴まれて虎杖に引き寄せられる。
「俺はずっとお前を呪っていた」
面前の虎杖は、身体中に這うような黒く禍々しい呪いを帯びていた。
迷いのない、射るような瞳が宿儺をとらえる。
「お前を呪い続けた俺は、もう呪いと見分けがつかないかもな」
「オマエ…っ」
宿儺は驚愕する。
「絶対に離さねぇからな、宿儺」
そう言うと虎杖は宿儺に唇を重ねた。
世界が暗転した。
最初こそ強くてスゲェ先生って印象だった。一緒に過ごしていく内にどんどん人となりを知っていく。
飄々としていてちょっと適当なところがあったり、でもそれが面白くて。そしてすごく優しい人だって知った。
時折見せる目隠しの下の瞳も声も匂いも全部好きだ。気付けば無意識に目で追っていた。単なる憧れでないでないこの気持ちを自覚するのに、そう時間はかからなかった。
…でも、俺がこんな気持ちを持つ事は間違っている。俺は半分呪いだ。
宿儺の言う通りなのかもしれない。俺は多分、現状をどこか気楽に考えている。
甘えてはいけない、迷惑をかけてはいけない。大好きな人だからこそ。
この気持ちは、心の奥底に沈めなければ。
「虎杖!」
その声で我に返った。振り向いた時、頭部に強い衝撃を受け、バッと鮮血が舞う。
…これも、罰か?
「ったく、何ボサーっとしてんのよ」
「ごめんごめんって」
釘崎がツカツカと歩む寄る。式神を解きながら、こちらを見ている伏黒も見るからに不機嫌だった。
額からの出血はあるが、痛みは左程ない。
「ここ最近ずっとその調子だな、集中できてないなら帰れ」
「いや大丈夫だって、全然大した事な…」
「「帰れ」」
二人の声が綺麗に重なる。怒気よりも、心配の色合いの強い声色であった。
何があったか強く聞き出してはこない二人ではあるが、気を遣ってくれているのだろう。
二人の性格は、この数か月で理解していた。それが申し訳なくも有難かった。
気圧される形で、虎杖は二人に従って帰路についた。
高専に戻り、入家のいる診療所に向かうが、今日は珍しく休みを取っているようだった。
虎杖は、肩を落とし寮の自室へと向かう。
誰もいない寮は、日中でも暗く物寂しさが漂う。軋む足音が響き渡る中、ふと考える。
自分が死ぬ時も、こうして一人なのではないだろうか。虎杖は足が止まった。
死に対して、恐れはない。
宿儺の指を全部飲んで死刑になる、これは恐らく自身にとっての正しい死。
生き様で後悔はしない、何度も心に誓った事であった。
だが、この漠然とした恐れは何だろうか?
いつから、こんなにも孤独を恐れるようになったのだろうか。
「悠仁」
静けさを裂くように後ろから呼びかけられた。振り返ると五条が手を振っている。
「五条先生…」
名を呼ぶが、息が詰まりそうになった。
五条が近付いてくる。
「先生、任務帰り?」
「うん。今帰ってきたばかりだよ。外から悠仁の姿が見えて…って、あれ、怪我してる?」
「あーうん。ちょっと油断しちゃって。俺は平気なんだけど、二人に帰れってって言われちゃってさ」
「そっか。大事に越した事はないからね」
そこで、会話が途切れ沈黙が訪れる。虎杖は、ぎこちなさく目を泳がす。
五条がフッと笑った。
「お土産あるんだけどさ、悠仁の部屋行ってもいい?」
「え、あ…うん。良いけど」
急な提案に虎杖は、押されるように頷いた。
「先生、どこまで行ってたんだっけ」
自室に招き、真ん中に設置したテーブルを囲む二人。
「どこだと思う?ヒント、これ」
テーブルに広げた菓子箱から、スイっと一つ摘み取る。
三角の薄皮の中に餡が透けて見える菓子だった。すぐにピンときた虎杖は答える。
「八つ橋!京都!」
「正解」と陽気に言い、五条は自身の口に入れる。
虎杖は菓子の形をしげしげと見つめながら、沈黙が訪れないように会話を探しているのだった。
だが、その心配もなく五条は語りかけてくる。
「それにしても派手にやってねぇ、痛くない?」
「全然。見た目ほど重症じゃないよ」
「ふーん」
五条は虎杖の顎に手を添えると、自分に向かせた。
「まぁ、出血も止まってるし。確かに大丈夫そうだね」
呆けた顔で、虎杖は硬直した。
手にしていた八つ橋がテーブルにポトリと落ちるが、気にしてはいられない。
目隠しで覆われた瞳は、傷を見ているのか目が合っているのかさえ分からなかった。
十秒は経った。一向に添えた手を離さない五条に赤面していくのを感じ、ぎこちなく虎杖は顔を背ける。
そして、聞いた。
「…あのさ、六眼って人の心まで読めたりすんの」
「それはさすがに無理かな」
「そか」
自他認める最強なのだ。それすらできそうだったので、虎杖はとりあえず安堵した。
「でも、悠仁が僕を好きな事は知ってる」
「へ?」
語尾が不自然に上がった。
時が止まったかのように、沈黙が間を支配する。やがて、虎杖は唇を震わしながら聞く。
「…いつから気付いてた?」
「随分前からかな。悠仁、僕の事ずっと目で追っかけてたから。目が合うと気恥ずかしそうに、一瞬逸らすしね」
開いた口が塞がらない。宿儺に気付かれた理由が分かった。
「まぁ、でも今のは賭けでもあったよ。大正解だったみたいだけどね」
「えっと…ええと」
虎杖は未だ狼狽えている。耳まで赤くなってきた。どう誤魔化すか、頭を必死に回転させる。
そんな虎杖とは対照的に、五条は伸びをしながら体勢を楽にした。
「僕は、一応教職という立場にあるからさ、それなりに悩んだよ」
「え…」
虎杖に五条は、改めて向き直り、物理的に少し距離を縮めてきた。
「あ、これ告白のつもりなんだけど。僕も悠仁の事、好きだからさ」
さらりと言う五条に虎杖は、更に唖然とする。
虎杖は、何とか落ち着きを取り戻そうとした。それと並行して、複雑な面持ちになる。
「…先生、俺嬉しいよ。嬉しんだけどさ、その、駄目だと思う」
「なんで?」
「俺は呪いだから」
虎杖は俯きながら呟く。
「俺にそんな資格ないし、先生を不幸にしたくない」
目をぎゅっと瞑る。散々、世話になったのだ。これ以上の迷惑はかけたくなかった。
ふいに、眉間に痛みとは言えない程の感触が当たる。
顔を少し上げると、五条の人差し指が虎杖の額を突いていた。
「考えすぎ。悠仁、僕を誰だと思ってんの、呪い相手なんて慣れたもんだよ」
五条は指を離すと自分の前で振りながら笑っている。
「先生…」
五条は目隠しを外す。長い睫毛を揺れる。そして、どこか遠くを見るように上を向いた。
「この世界にいるとさ、嫌でも人の負の感情に触れる。そんな中で一際明るく善人な君に出会った」
虎杖は憂いを帯びたようなその横顔に、思わず見惚れる。
「誰よりも過酷な道にあるのに人を思える君は、誰よりも優しくて、僕の中では光のような存在だよ」
ふいに、澄んだ蒼い瞳が虎杖を映す。
「だから好きになった」
虎杖は捕らわれたかのように動けなくなる。
「一緒に地獄を見よう、悠仁」
顔を寄せ、囁くような声色と共に、五条は虎杖の肩を抱いた。
緩やかに重ねられた唇に、虎杖の目が大きく開かれる。
夢ではない。
嬉しさと同時に、締め付けられるように胸が苦しくなる。五条の為を思うなら、肩を押すべきなのだろうが、できなかった。虎杖は、やはり五条が好きなのだと実感する。だが、虎杖は五条の想いを受け止める為、その背にゆっくりと手を回した。
「…先生、一つ、酷い頼みをしても良い?」
「うん」
「指を全部飲んでいよいよ死刑って時は、…先生が俺を殺してよ」
少しの間を起き、五条は答える。
「…分かった、最後まで一緒にいるよ」
息を吐き、可能な限り痛みを受け流そうとする。
虎杖に覆いかぶさる宿儺は、その姿を見下ろしながら口元に笑みを浮かべている。
その眼下にいる虎杖は苦痛に耐えながらもその笑みを少し興味深く思う。
いつもとは違う、どこかささくれ立ったものを虎杖は感じている。引き込んでから、ろくに口を開かず自身を組み敷き凌辱を始めた。
目は口ほどにものを言う。宿儺の瞳は笑みと真逆の色が差していた。
「今日は随分と機嫌が悪そうだな、宿儺」
上がる息の中そう聞く。だが、聞きつつも当然、虎杖には心当たりがあった。
「そう見えるか?」腰を動かしながら、ようやく口を開いた宿儺は感情なく答えた。
「なんだよ、気に入らなかったか?」
「ああ、気に入らんなぁ」
宿儺は目を細める。
「お前はあの男に呪いをかけたのだ」
言われずとも分かっている事だった。そしてその呪いを五条が受け止めてくれた事を虎杖は嬉しく思った。
共に地獄を歩むとまで言ってくれた五条の為にも、もう、後悔はしないと決めたのだった。
「オマエの快は俺にとっては全て不愉快だ」
露骨に嘲笑う宿儺に、虎杖はハッと笑って見せる。
「そんな言って」虎杖は続ける。
「お前、俺の事、一周回って好きなんじゃねぇの?」
虎杖にとっては単なる挑発だったが、その言葉に宿儺の動きが止まった。
それは一瞬の動揺だった。当然、好意を寄せている事はあり得ない、が、虎杖に執着していた事に気付いたのだった。
肉体だけではなく、心までも捕らわれている事に。
宿儺は一つ気の抜けたような笑みを零す。そして天を向き笑い出す。
それは空気を裂くような凶悪な笑い声と化し領域内に響き渡り始めた。
今までにない不穏さに虎杖はゾッとした。逃げることは出来ず、その様子を見ていた。
ふ、と笑い声は止み、静寂が訪れた。虎杖は息を飲む。
だらりと首を戻した宿儺の目は冷酷さを帯びていた。「…不愉快だ、オマエの存在全てが」
突然、グッと腰を乱暴に突き動かし始める。
「ぅあ”っ…!」
不意打ちを喰らい虎杖は呻く。呼吸が上手く整わず激痛が身を支配する。
「ぐ…っぅ!あぁ…っ!」
両手で宿儺の腕を掴み、押し退けようとするが叶わない。次第に虎杖の首に宿儺の手が絡みつく。そして、じわじわと力を込もっていく事に虎杖は目を見開く。
「く…っ」
赤い瞳が攻撃的にぎらついている。
「す、宿儺…っ」
眼の前の存在が、呪いであると改めて認識する。明確な殺意を感じ、死を覚悟した。
だが、自然と虎杖は口元に笑みを浮かべる。初めて、ここで痛み分けが出来たのだ。それが嬉しかった。
「お前、は、俺と、死ぬんだよ…っ」
息も絶え絶えの中、振り絞って口にする。首を締める力が強まった。不思議と苦しさは感じないでいる。
虎杖は、決して目を逸らさなかった。意識が完全に薄れゆくまで。
10月30日、渋谷の街は一変した。
平地になった光景を目にし虎杖は崩れ落ちる。
嗚咽を漏らすその姿に、宿儺は笑う。
「やはり、オマエにはこれが一番効くだろう」
それでも、虎杖はふらつく足取りで立ち上がった。
歩を進める度に宿儺は囁く。
「人が死んだな」
「仲間が死んだな」
「あの男は封印された」
虎杖は足を止める。
「俺の魂が折れると思ったか?大間違いだ」
虎杖の瞳の灯火は、決して消えていなかった。
「俺は俺の役割を全うする」
託された想いが虎杖を後押しした。
祓い、祓い、時に殺し、また祓う。
無我夢中に、指を見つけては、飲み込む。
やがて、全ての敵を倒し、20本目の指を手にした。
虎杖は迷う事なく、それを飲み込んだ。
それから三日の時を経て、虎杖悠仁の死刑執行が決まる。
*虎
とある学校の屋上。
任務を終えた後、虎杖は柵に寄りかかりながら、ぼんやりと八月の夜空を見上げていた。果てしない漆黒の闇に星が煌めいている。ずっと、見上げてると吸い込まれるような気がした。
「キレーな夜空だなー」
「なーに浸ってんのよ」
隣にいる釘崎は、疲れ気味の様子で口を開いた。
「たまに星が一つもない夜ってあるじゃん。あれ、空が降って来て飲み込まれそう感じがするんだよな。で、もし自分が、辺りに何もない真っ暗な闇の空間で、一人になったらって想像するとちょっと怖くね?」
「アンタ、部屋の電気真っ暗にして眠れないタイプ?」
「そうじゃなくて、なんだろなー」
顎を擦りながら、しっくりとくる言葉を探す。
「潜在的な孤独に対する恐怖心?」
釘崎は横目でチラッと虎杖に目を向けた後、同じように夜空を見上げた。
「ふぅん。まぁ分からなくはないけどね」
少し言葉を選ぶようにして続ける。
「星も一個だけじゃなくて、周りに何個かあるから寂しくないでしょ」
虎杖は朗らかな顔で頷いた。
「そうそう。特にあの星とかさ、何かこう、力強さを感じね?周りの星に呼応するような感じじゃん」
夜空の星々の間に、一際大きく輝いているそれに指を指した。
「まさに星々の絆ね」
釘崎は感慨深そうに言った。
後ろから、スマホで補助監督に任務完了の報告をし終えた伏黒がやってきた。
「帰るぞ。もうすぐ門まで迎えが来てくれる。…何やってんだお前ら」
二人して、柵に頬杖を付きながら。、うっとりと夜空を見上げている姿に眉を顰める。
虎杖は伏黒に夜空を促す。
「見ろよ伏黒、あの星。すっげぇ頼もしい」
「は?」
釘崎が同じく情緒ある表情で、虎杖に首を振った。
「無駄よ。こいつに星々の感動なんて理解できるわけないわ」
指差す方向を見ていた伏黒が呆れ顔になる。
「いやお前ら、あれ星じゃなくて人工衛星だぞ」
「「え」」
二人は同時に伏黒に振り返った。少しの静寂が訪れ、やがて、二人の引きつった顔がじわりと赤面に変わる。
「よし、ラーメン食って帰ろうぜ!」
手を上げ、明るく話題の転換を持ちかけた虎杖に釘崎が食って掛かる。
「何だったのよ今の時間、余計疲れたわ!」
「いや、俺星詳しくねぇしさ!」
「何が「頼もしい」よ!返せ、私の情緒!」
「「星々の絆」も中々じゃん!」
「お前らうるさい。近所迷惑なるだろ」
屋上に賑やかな声が響く。
*(宿)
楽し気な虎杖の声に、その最奥に潜む呪いの王は閉じていた瞼を開いた。
視界を共有せずとも聞こえてくる外界の音に、苛立ちのあまり一つ舌打ちをする。千年の時を超え受肉したものの、主導権を得ることは叶わず、その上、身体の持ち主はつまらない人間ときた。当人の笑い声が耳に障る。
「忌々しい」
そう吐き捨てると、ふと、退屈しのぎを考え始めた。虎杖に対しては、ただ、肉体を痛めつけるだけではつまらないし効果が薄い。精神的に痛め付ける、それも仲間を傷付けるのが最も効果的だ。以前、助けを求めてきた虎杖を手酷く嘲笑った事を思い出した。
あれは本当に良かったな、と口元が緩む。あの時の絶望と怒り、屈辱の滲んだ顔は堪らなかった。しかし、あれはもう不可能だと思う。虎杖は二度と自身を頼る事はないと分かっているからだ。とにかく虎杖を甚振りたい。ここで出来る事は限られていた。
*虎
夜、虎杖は自室にて眠りに就こうとベッドに入った時、一瞬の浮遊と急落下するような感覚を覚えた。
「うわっ!?」
衝撃と同時にばしゃりと水しぶきが上がり、虎杖は混乱する。上体を起こし、水に浅く浸かった自身の身体と周りに目を向ける。
薄暗く、大きな肋骨のような骨に囲まれた場所に虎杖は見覚えがあった。
「ここは…」
呟いた時、背後から首根っこを掴まれて、そのまま前へ投げ飛ばされた。うず高く積まれた骨の山に、背中からぶつかる。崩れた骨の破片がぱらぱらと頭上に舞って落ちる。相手が誰かはすぐに分かった。
「てめ…何すんだよ、宿儺」
パシャっと、水音を立てて近づく宿儺に、身を起こしながら虎杖は視線を向けた。無表情である為、思考は読めないが機嫌が良くない事は誰が見ても分かる。
スッと上げられた足が、虎杖の肩を強く踏み付けた。押し付けられた背中に、ごつごつとした骨の感触が突き刺さる。痛みなど感じないという顔で睨む虎杖に、宿儺は溜め息をつく。
「つまらんなぁ、オマエは」「はぁ?」
「その上、癪に障るときた」
好き勝手なじってくる宿儺に虎杖は眉間の皺を濃くする。
「何の用だよ。それ言う為に呼び込んだのか?」
いや、と宿儺は薄く笑い首を傾げてみせる。
「オマエに対する嫌がらせを考えていた」
宿儺は顎に手を当て、虎杖を上から下までジロリと観察する。
「やはりこれしかないか」
宿儺は足を下ろすと、片手を上げて軽く振るう。その動きに合わせ、虎杖のTシャツが弾けるように切り裂かれた。
「……っ!?」
斬撃を受けた筈だが素肌に傷は見られない。それに気を取られている虎杖を宿儺は組み敷いた。
眼前に迫る宿儺の姿に目を大きく見開く。形勢不利な状態、どのような攻撃が飛んでくるのか身構えていると、宿儺は虎杖の首筋に顔を寄せ、軽く歯を立てた。虎杖はギクリと身を震わせる。
「は…!?」
予想外の行動に虎杖は増々混乱する。だがすぐに、首を噛み切られる事を想起して振り払おうとする。だが、一手早く、手首を強く押さえ付けられ動きを封じられた。
宿儺は、鎖骨に向かって唇を落としていきながら、胸に片手を這わせ始めた。
「ふむ…。オマエ相手など、どうかと思ったが、存外、触れられぬ程ではないか」
「何、考えてんだお前…!」ゾワゾワと鳥肌が栗立つ。
解放された左手で宿儺の左肩を押すと、煩わしさを感じたのか舌打ちが返ってきた。
「警告だ。大人しくしていろ」
「ふざけんな!放せ!」
「だろうな」
宿儺はニッと笑むと、人差し指だけをスッと振るった。瞬間、虎杖の左腕に熱い衝撃が走る。何が起こったのかすぐには理解できなかったが、水にバチャリと落ちた自身の腕が目に入った事で現実を認識させられ、ようやく激しい痛みが襲った。
領域内に虎杖の絶叫が響き渡る。
「てめ…ぇ…っ!」痛みに呻きながらも睨みを向けるが、宿儺は愉快そうに笑う。ズボンを引き裂かれ、一糸纏わぬ姿となった。後方へと伸ばされた手に虎杖の顔が強張る。
「おい…っ」
場所を確認するように滑らせていた指が、つぷ、とそこにゆっくり挿入されるのを感じ虎杖は息を飲んだ。
「ぅ…っ」
「力を抜け」
あまりの嫌悪感と未知の恐怖に逆に身体中が力む。
「やめ…、ぅ…」
出し入れを往復する指がまた1本と増えて、痛みと出血を感じる。
腕からの出血も相まって眩暈がしてきた。
懸命に考えを巡らせる。この状況での抵抗は不可能であろうし、仮にどのような抵抗を見せても宿儺を喜ばせる事となるのは分かっていた。ならばここは、もう全てを受け入れるしかないと諦めの結論に出る。どうせ、現実への影響はないのだからと。だが、宿儺が着物をまくり、普段見慣れている自分のものと違わぬ、指の比ではないものを目にした時、虎杖は今から何をされるのかを察し、身が竦んだ。
「す…宿儺…っ」
自分でも驚くほど情けない声を発してしまった虎杖に、宿儺が歪んだ笑みを落とした。
当てがったそれをズッと勢いのまま挿入され、虎杖は瞬時に悲鳴のような声を漏らす。
「ぐ、あぁ…ぁっ!!」
残った右腕で、宿儺の身体をどかそうと押すが叶わない。
「ひっ…い、やだ…抜け…っ!くそ…っ…いって…っ!」
その言葉が、宿儺を喜ばせるものだと分かりながらも発してしまう。宿儺が腰を揺らす度に激痛が走る。
だがそれ以上に凄まじい嫌悪感が走った。虎杖は想定外の嫌がらせに、ずっと頭が追い付かないでいる。
「痛いか?なら、力を抜き快楽に身を落としてみろ」
「ふ、ざけん…なっ」
それなら痛いままの方がましだった。肌の質感、体温、同じ身体でも別人のそれで寒気がする。
「いいぞ小僧。やはり、つまらんオマエでも苦しむ姿だけは退屈せん」
虎杖は肌の擦れる音に耳を塞ぎたくなる。膝をがっちり捕まれていてされるがままであり、せめてと顔を背けるが、無慈悲にも顎を引かれて戻される。愉悦を浮かべた宿儺が「よく顔を見せろ」と笑う。
「そしてオマエもよく見ろ。オマエが、今誰に犯されているのかを」
虎杖は、ギリッと歯を鳴らす。打ち付けられる度に痛みとショックが身体中を襲う。
そして、腰の動きが激しさを増す中、救いのように次第に虎杖の意識が薄れていった。
ガクッと落ちるような感覚と共に、虎杖は目が覚めた。
カーテン越しから朝日が透けて見える。
身体中から嫌な汗が噴き出しており、心地が悪い。早る心臓の鼓動が不穏さをかきたてている。
上体を起こし、腕がある事を確認した。身体に痛みは感じない。
手を額に当て、荒い呼吸を落ち着かせようとする。
「……くそ」
夢でない事は分かっていた。
「虎杖、大丈夫か?」
「え、なにが」
伏黒の声に数秒遅れて反応する。そつなく返したつもりだが、ぎこちなさを見破られたのか伏黒は眉を顰めている。
「拾い食いでもして、当たったって顔してるわよ」
「あー…」しどろもどろになりながら「今朝食ったパン、賞味期限切れたからなぁ。ちょっと腹痛ぇかも」と返す。
「ったく、しょうがない奴ねぇ」
釘崎が呆れた顔をしている。
校舎の廊下で、今日の任務説明を待っているところであった。
あれから、度々呼び込まれては宿儺に犯された。
現実世界に影響はないとはいえ、精神的負荷はある。ふとした瞬間に、心在らずになっているのだろう。虎杖は気を付けねばとパシッと自身の顔を叩く。誰にも言えない、言いたくないし言ったところで、どうこうなる話ではなかった。
「お、3人とも揃ってるね。感心感心」
軽妙なノリで現れた五条に釘崎が首を傾げる。
「あれ、今日伊地知さんじゃなかったけ?」
「伊地知は、他の仕事に追われてるから今日は僕が任務説明するよ」
そう答え、タブレットを片手に説明を始める。
「悠仁、大丈夫?」
あらかた説明を聞き、タブレットで場所確認をしている二人の後ろにいた虎杖は、五条に声をかけられた。
同じ事を聞かれて、虎杖は苦笑いを浮かべる。
「疲れてるでしょ、任務減らそうか?」
覗き込むように見てくる五条に、虎杖は首を振る。
「や、身体動かしてる方が気が紛れるからさ」
変な受け答えをしてしまったと思ったが、五条は深くは追求してこなかった。
その代わり、「悩みがあったらいつでも相談しなよ」
そう言いながら、肩にポンと手を乗せてきた。虎杖は顔に熱が差した感覚を覚え、思わず目を逸らす。
「…うん」
まずいな、と内心思った。
宿儺の呼び込みは夜と決まっていた。休息をつかせない為の嫌がらせだと、虎杖は察している。
最初こそ何度か抵抗を試みたが、その度に手足を切断されて無駄な足掻きと化すのでやめた。されるがまま、衣服を破かれ凌辱される。決して慣れはしない苦痛。コイツは自由がきかない分、己で憂さを晴らしているのだろう。別の見方をすれば、哀れだとも虎杖は思う。だが、頭ではそう結論付けても、身体は追いつかない。
うつ伏せにされ、覆いかぶされている中、早く終われと心の中で唱える。
「顔色が悪いな、小僧」
「誰のせいだと思ってんだ。…てめぇもよく飽きねぇな」
悪態をつく虎杖に一笑する宿儺。
「早々終わることを願っているか?まぁそう急くな。夜は長い、楽しもう」
そう言うと、宿儺は虎杖の両腕を後ろ手にし、自身の解いた帯で縛り上げた。
「何してんだよ」
今までされていない、新しい行為に疑問を投げかける。
「失血で死なれてもつまらんからな。たまには現実逃避でもして違う姿を見せろ」
「はぁ?」
「俺でない他の者を想像すれば良い。例えばそうだな、…五条悟なんてどうだ?」
「…!」
思わず振り返る虎杖。想定通りの反応だったのだろう。宿儺は愉快そうに口元を歪めた。
「馬鹿が、俺はオマエと視界を共有している」
「何言って…」
「気楽なものだなぁ?オマエが生きている事で人が死ぬというのに。所詮、他者などどうでも良いか」
「違…っ」
「良い良い、気にするな。それを責めたい訳ではない」
言い返そうとした虎杖だが、突然、手で目を塞がれると首を元に戻された。視界が真っ暗になる。
宿儺は、虎杖を後ろから抱えるようにし、膝立ちにさせる。
「想像してみろ。オマエはあの男にどのように触れられたいのだ?」
宿儺の手が虎杖の首から胸へとするりと撫でる。その感触に嫌でも意識を向けさせられ身震いする。宿儺の手は、腰を通り過ぎて下の方へと滑らせていく。それを一撫でし、たんわりと包むように握ると、軽く上下に擦り始めた。
「や、めろっ」
虎杖は身を捩って逃れようとするが、がっちり固定されている為、叶わない。
「ほら、この手はあの男の手だ。想像しろ」
視界が閉ざされた今、五感が非常に研ぎ澄まされており、その声、言葉が耳に響いた。
暗い視界の中で、最初に浮かんだのは、肩に置かれた手の感触だった。優しくて温かい手。
五条の姿が浮かぶ。虎杖はそれを拭い去ろうとするが却って意識してしまう。
虎杖は後ろから五条に抱きしめられている錯覚を覚える。
瞬間、虎杖の息が上がった。
五条の手が虎杖の下部へと伸びていき、そこに触れると、徐々に熱を伴い芯が通い始めた。
秘めていた願望が、表面化する。
駄目だ、と必死に思考を薙ぎ払おうとするが、喜びへと変わる波を抑えられない。
「先生…っ」
あまりに心地の良さに、混乱し現状が分からなくなりつつあった。
限界を迎えようとしていた時、耳元に吐息を感じる。
「悠仁」
そう囁かれた声は、宿儺の声とは思えなかった。
「っあぁ…っ」
ビクンっと痙攣するように身体が跳ねた。
視界が解放され、最初に目の前に写ったのは自身の吐き出したもの。
それに感情を向ける前に、乱暴に仰向けにさせられた。
眼前の宿儺が、心底楽しそうに声を上げて笑っている。
「なんと無様な事か」
荒い呼吸の中、屈辱の滲んだ虎杖の瞳から一筋の涙が零れる。
それに追い打ちをかけるように、続けて言葉が降ってきた。
「良い顔だ、もっと苦しめ」