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父、彼岸へ旅発つ
・・日時計(Diary)
2019/05/25/Sat 12:22
父が亡くなりました。
平成31年が始まってすぐの1月18日、90歳でした。
父はよく「じーちゃんがあちらの世界に行ったらな、家族葬でいいからな」と言っていました。
でも腰が悪くなって、あまり外出できなくなってからは、自分から友人に連絡を取ることもなくなってしまった父でしたが、たくさんの友人、知人がいました。
その方達に、年末の年賀状欠礼葉書だけで「亡くなりました」はないでしょう。
わたしだったら、お別れしたかったと思うから。
父は九州出身なので、同級生は高齢な上に遠方在住のために、こちらにお呼びすることはできないので、近県でごく親しかった方のみ、お知らせすることに決めました。
30席くらいの小さな式場で、わたしは喪主を務め、なんとか1月24日にお通夜、25日に葬儀を済ませました。
父が創り上げた剣道部の後輩の方たちや、元同僚の皆さんが参列してくださり、とても和やかでした。
久しぶりに会う身近な親戚も、皆さん年齢を重ねられていて、少し寂しく感じたり……。
わたしの幼馴染も駆けつけてくれて、幼い頃にタイムスリップしたり……。
家族だけの葬儀にしなくて、本当に良かった。
皆さんに見守られて送られる時の父の顔が、とてもにこやかに微笑んでいたから。
父の葬儀を終え、3月に四十九日法要と納骨を過ぎても、わたしはあまり泣いていなくて……。
何故なのか涙が出てこないのです。
母が亡くなった時は何日も何日も、もうずっと泣き暮らしていたのに。
何故なのかな と、ずっと考えていました。
たぶん―――。
それは、父の老いて行く姿を見守ることができたからかな。
母とは突然別れてしまったので、母の死を受け止めるには十三回忌が過ぎるまで時間がかかりました。
でも、父とは亡くなる直前まで見つめてこれたから、悲しいという気持ちより「お疲れさまでした」という思いの方が強くて。
父はもう腰痛から転倒する不安も、老いの悲しみも、全てから解き放たれたのだろうな…… と考えると、安堵の気持ちで、わたしの心はいっぱいなのだと気が付きました。
だから父と向かい合う時は、笑顔でいてもいいかな と。
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