三日月夜話
  ★-Short Word-
3day Bouz Photo Diary

ひとつの時代が終わって行く…‥
・・Anime/TV
2010/11/08/Mon 19:29


青春時代にいつも傍にいてくれて、大切な友人たちにも逢わせてくれたヤマト。
その「宇宙船艦ヤマト」のプロデューサー、西崎義展氏(75歳)が、7日、亡くなってしまいました。

友人からメールで知らされて、すぐにネットで調べてみたら、毎日新聞の記事に以下のように載っていました。

毎日新聞 11月7日(日)20時31分配信

7日午後0時35分ごろ、東京都小笠原村父島扇浦沖で停泊していた汽船YAMATO(井出金吾船長、485トン)から、人気SFアニメ「宇宙戦艦ヤマト」のプロデューサー、西崎義展(本名・弘文)さん(75)=東京都港区=が海中に転落した。

小笠原海上保安署が引き上げたが、約2時間20分後に死亡が確認された。
西崎さんはウエットスーツ姿で、遊泳するため甲板から下りる途中に誤って転落したとみられる。

西崎さんらは同船の試験航海をしており、同日午前11時半ごろから扇浦沖に停泊。9人が乗船しており、当時は数人が遊泳していたという。
同署は転落原因などを調べている。
(原文のまま転載)

ヤマトの著作権を巡って、松本零士さんと訴訟になったり、覚醒剤所持疑惑事件を起こしたりと、いろいろと問題が付いて回る人でした。

ファンの中にもあまり良く思っていない人たちはいたけれど、でも、あの熱いヤマトブームも
西崎さんがいなかったら、あの時代は無かったんですよね。

そういう意味では、わたしは西崎さんが好きでした。


高校生の時に、わたしは事故に遭って大怪我をしたんです。
つらいリハビリにくじけそうになっていたのを、ヤマトは励ましてくれました。

「人生、一寸先は闇だ。
 しかしいたずらに不安がっていては何も始まらない。
 失敗を恐れず明日を信じる。
 それも我々にとって大事な心の闘いなのだ。」

この沖田艦長の台詞に何度も救われました。
「あきらめちゃいけないんだ」って。

今のわたしが在るのも、ヤマトが傍にいてくれたから。


怪我から回復した後、ヤマトのファンクラブを作っていた友人たちに出逢って、同人誌を作るお手伝いを始めて…‥。
その時に西崎さんに会ったことがあるんです。

西崎さんは学生のわたしたちを温かく迎えてくださって、質問にも丁寧に答えてくれた大きな人でした。
デスラー総統は、西崎さんがモデルだという話、きっと本当だ!って思いましたよ。
そっくりでしたもの。

思い出がいっぱい返って来ます。
西崎さんが亡くなって、ヤマトが遠くなって行きます。
作曲家の宮川さんも、先に逝ってしまっていて。
仲良くお酒を酌み交わしてくださると良いな…‥。

あの熱い一時代と昭和が、また遠くなりました…‥。
とても とても哀しく、寂しいです。
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