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裁判官を裁ける数少ない機会ですよ


話題:選挙




今月22日の衆院選と同日に「最高裁判所裁判官国民審査」も行われます。

単なる個人的見解ではありますが、一応参考までに記事をあげておきますね。




今回該当する7名の裁判官ですが、戸倉三郎氏は就任後の期間が短すぎて判別は難しいので保留しますが、その他の連中は大なり小なり納得のいかない判決に関わってますので、投票は「×」基本的に良いと思います。

中でも大谷直人と小池裕と林景一の3人は完全な反日裁判官と断言できますので、こいつらは必ず落としたいですね。


詳細に知りたい場合や自分で調べたい方は、検索すれば詳しく検証しているサイトやブログが沢山ありますよ!
(゚∀゚)

自衛隊への感謝の気持ちを忘れないで


話題:自衛隊について





自衛隊への感謝の気持ちを忘れないで

コチラから抜粋して転載します。
2chcopipe.com



『大川小学校の生徒が書いた自衛隊への感謝の手紙』


じえぃたいさんへ。

げん気ですか。

つなみのせいで、大川小学校のわたしの、おともだちがみんな、しんでしまいました。

でも、じえいたいさんががんばってくれているので、わたしもがんばります。

日本をたすけてください。

いつもおうえんしています。

じえいたいさんありがとう。


うみより




★この手紙のおかげで被災地にいた全自衛隊員が奮い起ったんだってな

★手紙をコピーして、手帳に挟んで励みにしている隊員もいる。

天皇陛下が自衛隊は頑張ってくれたと、おほめの言葉を下さったことも大きい。
(いままで政治的な理由から、陛下が名を出されることはなかった。暴力装置発言にムカついてたんじゃないかと個人的に思ってるが)

★被災地のあまりにひどい惨状にさすがの自衛隊員も疲弊しまくっていたころに一人の隊員が受け取ったこの手紙。
この手紙はまたたくまに隊員の間にコピーされ再び隊員たちをふるいたたせたらしい

★これ貰った部隊は、上に意見具申迄して捜索期間を延長したな。

★石井3曹に封筒を渡した少女は、名前も告げずに走り去っていった。

少女は、母親と思しき女性の運転する車でやってきて、偶然近くを歩いていた石井3曹に手紙1件を渡したのである。

石井3曹は込み上げるものを必死で堪えた。
「胸がいっぱいになりました……。あの頃は、発災から1か月が経とうとしており、疲れもたまっていたのですが、あの手紙で、『明日からも頑張るぞ!』と皆、勇気が湧いてきたのです。そして自分たちのやっていることが人々のためになっているんだ、とあらためて認識しました」

その後、この手紙は第14旅団長・井上武陸将補の陣取る女川の指揮所に届けられ、たちまち各派遣部隊に伝わった。

★井上旅団長は言う。
「手紙を見た時は、もう体中の血が逆流するほどの思いでした。
『よし、どんなことがあっても全員を捜し出すぞ!』という思いが漲ってきましたよ。
うみちゃんは、どんな思いでこの手紙1件を書いてくれたんだろうと思うと……」

少女が自衛隊に寄せた『日本をたすけてください』という切実な祈りに全員が奮い立った。

中には、手紙1件のコピーを手帳に挟んで災害派遣活動に励む隊員もいた。
同県利府町の加瀬沼公園に宿営地を設営した北海道の第1高射特科群のある中隊指揮所にも、この手紙のコピーがボードに貼り付けられた。

東日本大震災から49日目にあたる4月28日、飯野川第二小学校の体育館で、大川小学校の犠牲者の合同慰霊祭が営まれた。


祭壇には74の可愛らしい児童の顔写真が並んだ。
その中には、いまだ行方不明の6人の児童の写真もあった。

その間も、第14旅団の隊員たちは、うみちゃんの手紙1件を胸に、行方不明の児童を捜し続けていたのである

★日本をたすけてください
なんて言われたらやっぱ頑張ろうと思うわな
マジ泣けてくる

★自衛隊員には感謝しかないわ





以上で転載終わります。

自衛隊は東日本大震災での災害復興で八面六臂の大活躍でした!

熊本や大分での地震でも手厚い支援をして頂きました。
熊本県民の一人として改めてありがとうございます。




うみちゃんのように感謝するのが自然な人間の感情なのです。



尖閣(支那)
竹島(韓国)
北方領土(ロシア)


日本は領土領海での火種を抱えている状況が続いてますが、有事の際に日本を守ってくれるのはもちろん憲法9条じゃありません、自衛隊なんです。

自衛隊を貶める左翼共の撒き散らす軍隊(軍国主義)アレルギーに騙されてはいけませんよ!

皆様方も常日頃から自衛隊に対する感謝の気持ちは忘れないで欲しいです。

大亜細亜悲願之碑


話題:わが国、日本について





大亜細亜悲願之碑

『パール博士のことば』(東京裁判後、来日されたときの挿話)田中正明著より


「わたくしが日本に同情ある判決を下したというのは大きな誤解である。
わたくしは日本の同情者として判決したのでもなく、またこれを裁いた欧米等の反対者として裁定を下したのでもない。
真実を真実として認め、法の真理を適用したまでである。
それ以上のものでも、それ以下のものでもない。
誤解しないでいただきたい。」


パール博士が帝国ホテル『パール博士歓迎委員会』主催レセプションで挨拶された最初の言葉でした。
これがパール博士の所以であり、色あせることなく輝き続ける著述の所以です。

「いまや英・米・仏・独など世界の法学者の間で、東京とニュルンベルクの軍事裁判が、果して正当か否かという激しい論争や反省が展開されている。
げんに英国法曹界の長老ロード・ハンキーは<パール判事の無罪論こそ正論である>として『戦犯裁判の錯誤』と題する著書まで出版している。

しかるに直接の被害国であり、げんに同胞が戦犯として牢獄に苦悶している日本においてこの重大な国際問題のソッポに向いているのはどうしたことか。
なぜ進んでこの論争に加わらないのか。
なぜ堂々と国際正義を樹立しようとしないのか・・・

日本の外務省は、わざわざごていねいに英文パンフレットまで出して、日本の《罪悪》を謝罪し、極東軍事裁判(東京裁判)の御礼まで述べている。
東洋的謙譲の美徳もここまでくると情けなくなる。
なぜ正しいことは正しいといえないのか、間違っていることをどうして間違っていると指摘できないのか。」


パール博士は、次に広島爆心地本川小学校講堂で開かれた世界連邦アジア会議にゲストとして招かれ、特別講演を行いました。


「人種問題、民族問題が未解決である間は、世界連邦は空念仏である。」
と前提して博士はこう述べられました。
「口から懺悔の言葉を聞いていない。
彼らの手はまだ清められていない。
こんな状態でどうして彼らと平和を語ることができるか。」

博士は原爆慰霊碑に献花して黙祷を捧げました。

その碑に刻まれた文字に目を止められ通訳に何が書かれているのかを問い、『安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから』・・・。
その意味を理解するにつれ、博士の表情は厳しくなりました。


「この《過ちは繰返さぬ》という過ちは誰の行為をさしているのか。
もちろん、日本人が日本人に謝っていることは明らかだ。
それがどんな過ちなのか、わたくしは疑う。
ここに祀ってあるのは原爆犠牲者の霊であり、その原爆を落した者は日本人でないことは明瞭である。
落した者が責任の所在を明らかにして《二度と再びこの過ちは犯さぬ》というならうなずける。

この過ちが、もし太平洋戦争を意味しているというなら、これまた日本の責任ではない。
その戦争の種は西欧諸国が東洋侵略のために蒔いたものであることも明瞭だ。
さらにアメリカは、ABCD包囲陣をつくり、日本を経済封鎖し、石油禁輸まで行って挑発した上、ハルノートを突きつけてきた。
アメリカこそ開戦の責任者である。」

この後、博士は「東京裁判で何もかも日本が悪かったとする戦時宣伝のデマゴーグがこれほどまでに日本人の魂を奪ってしまったとは思わなかった。」と嘆かれ、「東京裁判の影響は原子爆弾の被害よりも甚大だ。」と慨嘆されました。


そして、パール博士は『過ちは繰り返しませぬから』に代わる碑文を作りました。
それが、広島市小町本照に建立される大きな黒御影石に刻まれた『大亜細亜悲願之碑』です。





『大亜細亜悲願之碑』


激動し 変転する歴史の流れの中に

道一筋につらなる幾多の人達が

万斛の想いを抱いて死んでいった

しかし

大地深く打ちこまれた

悲願は消えない

抑圧されたアジア解放のため

その厳粛なる誓いに

いのち捧げた魂の上に幸あれ

ああ 真理よ!

あなたはわが心の中にある

その啓示に従って

われは進む


1952年11月5日
ラダビノード・パール





どうかパール博士の言葉に真摯に耳を傾けて下さい。

いい加減に日本は自虐史観から抜け出しましょう。

終戦後からずっと日本が全て悪かった事にしたがっている特アや左翼連中や、自虐史観を垂れ流し子供達に誤った知識を植え付け続けている日教組に対して、激しい憤りを覚えてなりません‥‥

日の丸と君が代


話題:わが国、日本について




転載元
mblg.tv


日の丸と君が代


今現在も日教組が否定している国旗・国歌ですが、実際の日の丸と君が代は、とても素晴らしい意味を持っているのです。




日本の国旗 日章旗

聖徳太子が遣隋使に託した文章以来、自国を“日出づる国”と考え 赤い日の丸は日の出の太陽を象徴する。
また紅白は日本の伝統色で めでたいものとされていて 赤は博愛と活力、白は神聖と純潔を意味する。


「我が国旗」
徳川時代の末、波静かなる瀬戸内海、或は江戸の隅田川など、あらゆる船の帆には白地に朱の円がゑがかれて居た。
朝日を背にすれば、いよよ美しく、夕日に照りはえ尊く見えた。
それは鹿児島の大大名、天下に聞こえた島津斉彬が外国の国旗と間違へぬ様にと案出したもので、是が我が国旗、日の丸の始りである。
模様は至極簡単であるが、非常な威厳と尊さがひらめいて居る。
之ぞ日出づる国の国旗にふさはしいではないか。
それから時代は変り、将軍は大政奉くわんして、明治の御代となった。
明治三年、天皇は、この旗を国旗とお定めになつた。 そして人々は、これを日の丸と呼んで居る。
からりと晴れた大空に、高くのぼつた太陽。 それが日の丸である。

高村光太郎
平岡公威(三島由紀夫)11歳の作文






《日本 : 君が代》
《歌詞》

君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
巌(いわお)となりて
苔(こけ)のむすまで


《意味》
私の敬愛するあなたが
千年も八千年も 小さな石が巨岩となって 更にその表面を苔が覆うようになる程の長い歳月を
元気に健康で過ごせるように願います。


《君が代》は 自分の敬愛する人という意味。

《君が代》は 自分の敬愛する人の幸せを願う、道徳観のある歌だ。


日本の国歌と国旗を誇りにおもう。

2月22日は竹島の日です。竹島での日本人犠牲者が何人いるか知っていますか?


話題:わが国、日本について







2月22日は竹島の日です。竹島での日本人犠牲者が何人いるか知っていますか?


2月22日は竹島の日です

「竹島が島根県行政区域に編入された日」を記念したものですが、皆様もご存知の通り、竹島は現在も韓国軍の不法占拠が継続中です。
非常に腹立たしい現実ですね!

竹島問題の基本的な状況をおさらいする為に、過去の記事を再UPします。







韓国は日本の領土である竹島で不法占拠を続けています。
腹立たしく思っている方も沢山いらっしゃるでしょう。

しかし昔の僕もそうでしたが、揉めている事は知っているが詳しい経緯はご存じ無い方が多いのでは無いでしょうか?

今回は竹島問題の経緯について説明してみます。




竹島は江戸時代初期からすでに日本の実効支配下にありました。
ちなみに最初の頃は「竹島」ではなく「松島」と呼ばれていました。

明治政府は1905年に竹島を島根県に編入し、国際法的にも完全に日本の領土となりました。

しかし、戦後GHQは、沖縄や小笠原諸島と同様に竹島を日本の行政権から外しました。

そして1952年に韓国の大統領李承晩が「朝鮮半島周辺最大200マイルの水域に存在する全ての天然資源と水産物を利用する権利」を一方的に主張しました。
この一方的宣言によって規定された領海水域を李承晩ラインといいます。

もちろん日本は認めませんでしたが、1965年の日韓漁業協定で李承晩ラインが廃止されるまでに

死傷者:44人
抑留者:3929人
拿捕された船:328隻

これだけの犠牲者が出たのです。

抑留された被害者は、日韓漁業協定が成立するまで抑留され、韓国に人質として利用されてしまいます。

日本政府は彼らの身柄とひきかえに、472人もの在日朝鮮人の犯罪者を仮釈放して、在留特別許可を与える屈辱的な条件を飲まざるえませんでした。

1953年6月 島根県と海上保安庁が合同で領土標識を建てたが、その翌年7月から、韓国警備隊員(警察)が竹島の東島に常駐し不法占拠を始めた。

日本政府はこれに抗議し、同年9月25日に国際司法裁判所への付託を提案したが、韓国はこれを拒否している。

李承晩ラインは1965年日韓基本条約調印による国交正常化で消滅したが、竹島問題は棚上げされたまま解決しませんでした。
その後、両国は互いに領土権の主張をくり返して緊張した状態が続いた。

1978年4月30日ついに韓国が実力行使に出て、一方的に領海12カイリから日本の漁船を締め出しました。

その後も1997年11月に船舶接岸施設、1998年12月に有人灯台を建設し、監視所、兵舎、アンテナ等を次々と設置して武装強化を続けている。

その後も日本からの抗議には逆ギレしてみせたり、自国内では「独島(竹島の韓国名)は我が領土」という歌まで作ってそれを子供の頃から学校で歌わせて、捏造された歴史教育を現在も続けています。



本来は国家間の法律的紛争は国際司法裁判所で争うのが普通なのですが、そもそも韓国側は最初から自国の領土ではない竹島の事で裁判しても負けると分かっているから、裁判を拒否するんですよね。

歴史的に見ても国際法的に見ても、竹島が日本の領土である証拠は大量に存在しています。

一方韓国は推測に基づく間接的な証拠しかないので、最初から話にならないのです。

日本には竹島の領土権の根拠が有り、韓国には竹島の領土権の根拠が無いのです。

いつまでも日本固有の領土である竹島を、このまま放置しておく事など断じて許しておく訳にはいきません。
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