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分析

そもそも私の恋は、なりたい自分を「自分を愛してくれない人」に投影して、その人と一緒にいる自分に恋しているのかもしれない。未来の自分を想像して。
でも、恋しても私は変わらない。変わったような錯覚を得るだけで。経済的に裕福な人と付き合っても私自身の経済力は結婚しない限り変わらないし、かっこいい人と付き合っても私自身が可愛くなるわけでもない。仕事も好転しないし、寂しさも一時しのぎですぐに寂しくなる。恋をしても私の心の穴は埋まらない。状況は何一つ変わらない。
その事実を私は相手のせいにして、相手を憎み、自分の思い通りに動くよう働きかける。それで関係がこじれること多々。

辛い恋は私自身が原因ではなくて、私の中にある心の穴が原因だったみたい。劣等感や寂しさに反応して始まって、それを埋めてもらおうとする恋は、もうやめたいな。辛いから。相手もきついだろうし。

私の劣等感や寂しさはどうしたらいいのか。それらに反応して辛い恋が始まるなら、自分で対処して落ち着かせたほうがいいような気がする。

具体的には自分の寂しい気持ち、他人と比較して得る劣等感、将来の不安、仕事への不満、自分への不満を相手に求めないで自分で受け入れるということ。
その負の気持ちはなくさず(なくならないから)、否定せず、自分にはこういう気持ちがあるんだなと認め、ありのままの自分を受け入れる方法。それが自己受容するということ。

自己受容したら、相手のことも自然と「理想の相手」ではなく、「1人の人間として」受け入れることができて、相手にも自分にもたくさんのことを求めすぎないのかもしれない。

まずは自分を知ること。そして受け入れることを繰り返していきたいな。

相手と恋愛を始める前に、自分と向き合うことを忘れないでいたい。一生そばにいるのは自分だから。

そんな上手くいくかわからないけど、とりあえずやってみようと思う。

分析

恋をする原因は、私の場合、以下の要素が多い。
・漠然とした寂しさの募り
・経済的不安解消への期待
・自分が知らない世界に連れて行ってくれそうという期待
・仕事へのプロ意識、本気度の高さ
・好みの顔

これはすべて心の中にある私自身の劣等感と寂しさに反応している。

私は私を無意識に嫌っている。自分が嫌いで変えたくて、でも自分では変えられなくて、その変えられない自分を相手に投影して変えてもらおうとしている。
相手を恋愛で得ることで、自分の価値を上げようとしている。
そして、私の中にある劣等感や寂しさを相手で埋めようとしているのは間違いない。

相手で埋めようとして、埋まったと感じるのは一時的。時間が過ぎれば、また埋めたくなるのに、中々思う通りに埋まらない。もしかしたら、相手を使って心の穴を埋めることはできないのでは。

私自身が相手を愛そうとしたことは一度もないと思う。してもらいたいことは沢山。相手に言わないけど、本当は愛して欲しくてたまらない。私を選んで欲しい。私だけを見てほしい。私だけを考えてほしい、欲してほしい。連絡が欲しい。会う時間を作って欲しい。
でもそれは全て叶わないし、叶えてくれない。
叶えてくれない人に執着をする。
結果的に相手を好きでいると同時に、大なり小なり憎んで終わる。

27

27歳になりました。
もう立派な大人。少しずつ自分が内面も外面も変わってきていると実感している。
ここ最近の私はある本を読んで、「自己受容」というキーワードが頭から離れない。
今まで沢山の恋愛をして、今また始めようとしている恋。
今までしてきた恋はほとんど100%楽しくもあり幸せなこともあったにも関わらず、最後は私が傷つくか、相手を傷つけるか、または両方かで終わる。
それはなぜなのか、どうして奥さんや彼女持ち、フリーでも元カノを追う人、あるいは自分を好きではない人ばかり好きになるのか。それ以外の人と付き合うと私は気持ちが冷めて振ってしまう。
愛し愛される恋愛ができない理由は、明らかに私に原因があるとしか思えない。

今回また恋愛を始めるにあたって、自分と向き合い分析しようと、過去の恋愛をノートにまとめている最中。

好きな人

わたしの好きな人は一昨日初めて会った人。人を助ける仕事、2つ上、顔がタイプ、すごくかっこいい、横顔が大好き。性格も好き。肌が綺麗。腹筋が割れている。カメラとキャンプが趣味。少し離れたところに住んでいる。昨日初めてセックスする。まだ、付き合ってない。

恋をしました。何が起こっても常にハッピーな自分。今なだけ。ハッピーなのはわたしだけ。この多幸感は長続きしないことは知っている。唐突に終わってしまうかもしれない。それでも、何度もないこの多幸感を味わい未来に期待し、相手を信じてしまう。愚かだから。
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