私は朝焼けと共にベッドから抜け出し、人々の生活を観察する旅に出る。あせた赤色のリュックを背負って、シャッターの下がり切った商店街を歩く。一歩また一歩とその歩みを進めていくうちに、だんだん都会の空気が漂いはじめる。蜃気楼のように建たずんだ高層ビルたちが朝が来ることを拒んでいる。

まだ早朝だというのに街の人々はがやがやと目まぐるししくうごめき合う。寄せては返す波のように。

だるそうなサラリーマンや、浮かれた様子の大学生。大声で笑い合う女子高生のそばを、ホームレスが通りすぎる。


皆平等に朝は来る。平等にまぶしい日差しを受け、平等に生命力を与えられる。
今日という日はまだ始まったばかりだ。


私は思いたち、道のわきにある水溜まりの前で止まる。昨晩は少し雨が降った。だから緑はみずみずしく輝いているし、こうして私を運ぶ通路までできる。

えい、と水溜まりに両足を突っ込むと、たちまちに周りの景色が一変し、途端に何かの幾何学模様になる。

足元から強く吸い上げられて、私はいつになってもなれないその感覚を堪えた。

幾何学模様はいつのまにか、たくさんの映像の束になっている。壁一面に映し出された、人の喜びや、悲しみや、恐怖、憎しみ、その他たくさんの想いが円となって私を束縛する。そしてくるくると私は翻弄されながら、やっとかたい地面に足を下ろした。



私の頭上には、そこを行き来するたくさんの人々の足の裏が見える。

ここは、さっきの街の、ひとつ下の層の世界。私以外に、ここを知る人はいない。

天井は低く編み目状になっており、私はそこから、世話しなくうごめく上の層の人達を、下から覗き込んでいる。

足音や雑音はそのまま響くので、ここはいつもとてもうるさい。だから私は、あらかじめリュックにいれておいた耳あてつける。
私は人々の生活を観察しながら、一緒にリュックから出したキャンディーを舐めた。

この世界は上と違いとても不安定なので、時々予想もしないようなことが怒る。
地面から花瓶ごと花がたくさん咲いたり、空からお金の雨が降ってきたり。
それに、こっちの道はでこぼこで、たまに街のように建物が増える時期があるが、時間がたつと消えてしまう。同じように、何日も雨が降り海になったこともある。それも同様、数日たつと何事もなかったように消え去る。

この世界のおかしな出来事は皆、上の世界で働く人達の、かつて無垢で小さい少年少女だった頃の、ささいな夢なのかもしれない、と私は最近考えるようになった。
都会にて、非現実的を否定されつづけてしまった大人たちの、心の奥底にある自由な発想が、この世界に具現化される。
窮屈な視野で生きることを強いられた人々は無意識にそうされながら、自分の中の幼い自分を必死に、守っている。そうした心のはけ口が、この世界なのかもしれない。

もしそれが会っているなら、私はこれから先もここを守っていかなくてはならない。
そう決めてから、水溜まりがない日は無理だけれど、そうでない日はかならずここへ来るようにしている。そして次第に、私自身も、ここへ来るのが楽しみになっていった。
ここには純粋だけがある。澄み切った湖のような、みずみずしい緑のような、それらを切り取ったような美しさが。

でもその無垢さゆえに、好奇心でふくらんだ残酷性を見せるところもある。

私は下ろしていたリュックを再び背負って、パトロールにいくことにした。
でこぼこした道なので、すぐに疲れてしまう。ミネラルウォーターを口にしながら、足を進めた。

ここは広い。だから、多分まだ半分も周り切っていないと思う。
毎回水溜まりから着地する場所が違うので、正確な場所が判断しにくい。
だから私はところどころに目印として、食べ終わったキャンディーの棒を地面にさしておく。

今日始めての目印をたてた時、いきなり空が暗くなった。
周りを見渡すと、さっきは何もなかったところに、大きな高層ビルがいくつも立ち並んでいる。

これも夢の具現化だろう、と思っていたら、なんだか地面がぐらぐらと揺れた。続いて轟音が響く。
たくさんの砂けむりがあたりをいっぱいにして、視界が悪くなる。だから高層ビルたちは私から見たらまるで、巨大なオバケのようだった。

その巨大なオバケは、なにやら危なっかしく、左右にゆっくりと揺れている。
嫌な予感がしてきた頃に、先ほどよりもっと大きく地面が揺れて、私は尻もちをついてしまった。
その瞬間まさに、ビルは私めがけてすごいスピードで崩れてきた。
慌てて立ち上がろうとしたところで、がらがらと音を立てながら落ちてくるビルが、容赦なく私を下敷きにした。



この世界で具象化されるものは実体がない。なのでビルにも例外ではない。
私は痛くもかゆくもないし、もちろんケガもない。
でも少しの時間気を失っていたようで、設定しておいたストップウォッチのアラームで目が覚めた。
この世界には時計がないから、こうしてあらかじめセットしておく習慣が身についている。

私は額に浮かんだ汗をぬぐった。
先程の出来事のように、予期せぬ事態は度々おとずれる。
子供の想像力は純粋だけれど、時々残酷性を帯びているから、私はよく本当に驚くけれど。

でもそれがまた、この世界の魅力や特質なのだから、これからも窮屈な大人を、その中に眠る子供のような純粋さと残酷性を、守っていきたいと思う。


私は手頃な水溜まりをみつけて、飛び込んだ。
またたくさんの映像に翻弄されながら、気付けばもう、もといた街に立っていた。

すっかり日が暮れたいつもの街では、いつものように、人々が賑やかに行き来している。
朝とは違い、皆、帰路につくのだろう。
帰る場所がある人もない人も、待っている人がいる人もいない人も、平等に一日の終わりを迎える。


皆が眠りにつくであろう時間帯に、私も自分の家のベッドに潜り込む。


そして私も一人の少女に戻り、深い深い眠りについた。









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