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小さな手

母親の手を握ると、わたしの体はどこか違う世界へ連れていかれる。
今ではあの時自分がどこにいて、母親が何をしていたのかわかる。何も不思議なことはない。わたしたちは切符を買って、それで電車に乗って、少し歩いただけ。でもわたしは子供だったから、そこは十分異空間だった。
目を瞑っていたのかもしれない。その異空間への道を、覚えたくなかった。もしも一人で帰れるようになったら、お母さんはきっとこの手を離すだろうと、どこかで思っていた。
異空間の主人は、みんな優しい人だった。わたしは無邪気さを見せびらかしながら、彼らの好意を一身にうけなければならなかった。
もしも嫌われてしまったら、お母さんはきっとこの手を離すだろうと、どこかで思っていた。
何を言われるでもなかったけれど、わたしはこの異世界への旅行を、じっと秘密にしていた。幼稚園の友達にも、兄にも姉にも。母とわたしだけの秘密がどこか嬉しかった。だからわたしは母との無言の約束をずっと、ずっと。
今思えば、母がわたしに「秘密」を明示しなかったのは、彼女さえ、言葉にするのを躊躇っていたから、わたしに後ろめたさを気付かれたくなかったからだろう。でも姉は知っていた。姉がわたしと母の秘密を知っていることを、わたしも知っていた。そこでもただわたしたちは無言のまま、「約束」を結んだ。口にだしたら、お母さんはもうこの手を握らないだろうと、どこかで思っていた。
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