でてくるひとたち
むらさき色に混ざる恋
拍手ありがとう。コメントのお返事は追記です。
そしてまた購読者さんが急に増えてプレッシャー。ちがうか。
それでは前のつづき、つづき。
◇
「『やめておきましょう』、か」
「はい」
「虚しくなる、って言いたいってことだろ?」
「まあだいたいそんな感じかな」
「なんだよだいたいって」
「いろいろとあるんです、わたしだって」
やっぱり失ったってことまでは言わないでおこうと決める。先生はキスしても手に入らない、ってことだと捉えたんだよね?方向性はだいたい合っているよ、先生。
ガラスの向こうは、ただただ色がにじむ雨の夜景。わくわくするような、馬鹿馬鹿しいような、なんとも言えない感覚。ねえ、先生。先生なんでしょう?研究の話をするときみたいにわたしを的確に導いて。
先生の脚に置いた手を滑らせる。けれどいかにも深い意味はないですよっていう雰囲気漂わせる。口もとの表情は消して、視線はぼんやり夜景を眺めてね。
どうでもいい。どうなってもいい。抱きたいなら抱かせてあげるよ。勇気がないならもういいよ。なんてまた上から目線。生意気でしょう?知ってる。
「先生、こわくなった?心配ごとがある?」
もう敬語はやめ。仲良くしようよ、ねえ。
「心配ごと?」
「今回はパスするん?」
「パス?急に何言ってんだよ?」
「急に?さっきからずっとこの話してない?」
口をつぐむ先生をわざと冷たく眺める。黙ってウイスキーのグラスを回す。氷をカタカタ鳴らす。先生は敬語じゃなくしたことについては、何も言わなかった。
「帰ろう。先生も、ワイフが待ってんのや?」
「パートナーだよ。ワイフって言うな」
「まだそんなことゆうてんの?」
ちょっと笑ってしまう。大学の頃、思い出す。先生は奥さんのこと嫁とか妻とか言わない。何今更強がってこだわってんだよ、と思う。
「帰る」
笑いそうになるのをかみ殺して繰り返す。
「待って待って、わかったよ、ホテルおさえりゃいいんだろ。あーもうお前ふざけんなよ」
「何怒ってんのやって、先生、可笑しい」
「いかがわしいホテルには行かないからな、絶対に」
「はいはい」
なんだよう、いかがわしいホテルって。学生だったわたしにはキスしようとしておいて、今更何言ってんだか。
先生がビジネスホテルの部屋をとってる間、ひとりでぼんやり待つ。
わたしは何がしたいの?そこまで意地になって馬鹿なことするほどの相手じゃないでしょう?
本当はわかっているの。結婚。けいたと結婚するのがこわい。こんな奴と結婚しても幸せになれないかもよ、けいた?でもね、結婚の話は進む進む。そしていざ、結婚してしまえばそれなりにちゃんとできる自信はあったり、なかったり。とにかくもう抗えなくなってしまったことに息が詰まる。だから、頭から追い払う。馬鹿なことして気を紛らせて。
戻ってきた先生が言う。
「俺を誰だと思ってんだよ」
馬鹿な男。じゃなくて。
「尊敬すべき恩師です」
「絶対嘘だ」
「女運が悪すぎるけど、素晴らしい研究者で尊敬すべき恩師です」
「じゃあなんで大学院に進まなかったんだよ」
答えられないよ、そんなこと。黙って、グラスに残ったお酒を喉に流す。度数の高いウイスキーが喉を燃やす。
先生はちゃんとした意味で言ってくれているのは知っているよ。わたしの能力をちゃんと見ていてくれたことも知っている。でもね、勇気がなかったの。英論を書くのと、院生として、先生の
気持ちを知りながら相手をし続ける勇気がね。
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