でてくるひとたち


もっと深く沈むグレーに

拍手ありがとうございます、拍手コメントもいただいたので、追記にお返事。

それから購読者さんがまた急に増えて、怯えています。期待せず見守ってください、どうぞよろしく。





きれいに盛られた料理に視線を落とした。

駅前のホテルの中にある会席料理屋で、先生と向かい合って席についている。


あの夜、酔った先生をタクシーに押し込めて、別れてから2週間くらいすぎた頃に届いた先生からの連絡。ゼミ生だった頃に毎週受け取っていたミーティングの連絡メールに似せて書かれた文面に思わず笑ってしまった。

いつも大学の教室番号が書かれていたところには、駅前のホテルのロビーラウンジが指定されていて。

それからいつもの定型文、【今週の実験の進捗状況・結果を共有し、今後の方針を検討しましょう】は、【近況を報告・情報を共有し、今後の方針を検討しましょう】となっていた。

今後の方針ねえ、はいはい。うまいこと言っているつもり?と思いつつも、懐かしくて。


「もうご連絡くださらないと思ってました」

「お前が連絡しろって言ったんだよ」

「そうですけど、酔ってましたし、ねえ」

「あんなの、全然だよ」

どこが全然なんだよ、という反論は飲み込んで。

「無事に帰られたんですか?」

「帰ったんだけどさ、冷蔵庫を素手で殴ったんだよな。したら1週間ぐらいずっと手が腫れててさ」

「まだそんなことされてるんですか?だめですよ、危ないですよ」

こんな馬鹿みたいな話をしながら、ふと教授と学生だった頃を思い出す。

先生がわたしのこと好きだと言った日から、2人きりで話す機会は何度もあった。ある飲み会明けの日、研究室に行くとまだ他の誰も来ていなくって、先生だけがひとり実験していた。この人は前日どれだけ遅くなっても、どれだけ酔いつぶれても、毎日定時にやってきて、仕事しているの。そういうところは本当に尊敬する。

「先生、お早いですね、昨日ちゃんと帰られました?」

「帰ったよ、でも途中で木を殴ったんだよ。それで手が痛くてさ」

ん?この人、何言ってるの?

「道に植えてある木をですか?素手でですか?」

「そう。お前、昨日飲み会の時またあいつとずっと話してただろ」

ああ、院生の男の先輩のことを言っているんね?

「それで、木を殴ったんですか?」

先生は答えない。マグカップ2つに熱いコーヒーを淹れて、1つを先生の実験台に持ってゆく。黙ってそこに置くと、先生も黙って、赤く腫れた手をわたしに見せる。

これが、冗談じゃないから、もう救いようがない。

腫れた指にそっと触れる。そのままゆるく手をかさねる。先生はまたあの悲しげな顔をする。知らないよ、わたしのせいじゃないよ。あなたが勝手に始めたんだから。


ああ、あの頃と何も変わっていないね。先生は本当に恋愛に向いていないと思う。そして全然わたしのタイプでもない。


料理を食べつつ、静かに言葉を拾っては、渡し合う。あの頃のことを順番に並べて思い出す。


「先生、わたしが卒業してから代わりは見つかりました?」

冗談めかして聞きつつ、自分でうんざりし始める。そんなことどうでもいい。それなのに「見つかった」と言われた時の小さなショックを予測して身構える潜在意識に、嫌悪感がこみ上げる。

ねえ、わたし先生には恋なんてしてなかったよね、いつも自分がペースを握っていたよね?

とは思いながらも、特別でいられるならそれがいい。

「見つからないよ。探してもいないし」

「へえ」

自分から言いだしたものの、こんなやる気のない返答しかできない。あとは料理がなくなるまでぼんやり会話して、話したこともほとんど覚えてない。


だから、その日はもうすぐに帰ろうと決めた。


お会計を終えて、先生のあとをついてお店を出た。ホテルの中のお店だから、一歩出ると吹き抜けになっていて、下の階のロビーラウンジが見えるような造りになっている。それをぼんやり見下ろしていたら、先生がわたしのこと見ていることに気づいた。


片方のかかとをもう片方の足首にかけて立つ、この人のいつもの癖。先生は素敵な靴を履いてるよね。そうだ、唯一好きなのは、先生の靴選びのセンスだけ。

小さく流れるBGMを聴くとなく聴いていた。黙ったまま。テナーサックスが甘くて苦い。なんていう曲だっけ?

ねえ、早くなんとか言いなよ。傲慢なわたしが頭の中で言う。まだ帰りたくないと、言ってよ。

さっきまでの帰りたい気持ちをもうどこかに置いてきたわたしが、先生のせいにしようとしてね。馬鹿みたい?

でも、この人ははっきり言ってくれないの。いつも。悲しそうな顔をするだけ。きらい。


「ごちそうさまでした。んなら、帰ります?」

わざと突き放すように、明るく聞く。

「え?もう帰るの?」

「帰らないんです?」

ねえ、引き下がらないで。

「またあの男が迎えに来るんか?」

「どうかな?呼んだらたぶん来てくれます」

わざとに悪い女ぶって言う。いや、本当に悪い女かもしれないけどさ。

「お前、本当に彼氏がいて、別の奴が迎えに来て、なんていうか、そういう奴なわけ?」

何をぐだぐだ言ってるの、先生?可笑しい。

「知りたいです?興味ありますか?あいつのこと。お酒飲みながら、話しましょうか?」

先生がちゃんと誘ってくれないから、こんなことになるんだよ。って、勝手に先生のせいにする。帰らないことになって、先生が明らかにほっとしているのが手に取るようにわかる。溜め息。

「この上のバーで飲んで行きましょうよ」

「お前だって帰りたくないんだろ」

「はい、ぜんぜんお酒飲み足りないから帰りたくないですね」


エレベータまで歩きだす。さりげなく先生の腕に触れる。


わたしが悪いの?先生が悪いの?こんなことを望んでるの?それとももっと別の何か

よくわからない、なんで連絡してなんて言ったんだろう、酔っていた日のわたし。




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01/24 18:53
ぶっくまーく






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