2022/6/30 Thu 00:38
「マイ・ペース」森田貢の死去★あの大ヒット曲「東京」が生まれた実体験とモデル女性の話…の巻





話題:芸能ニュース







東京へはもう何度も行きましたね…と、カラオケで歌ったことのある中高年は少なくないだろう。

1974年のミリオンセラー「東京」。

この曲を歌った3人組フォークグループ「マイ・ペース」のリードボーカル森田貢さんが6月18日、急性骨髄性白血病で死去した。

68歳とまだ若く、歌に馴染んだ世代にとってはショックなニュースだった。

秋田出身の森田さんは高校1年の時、中学時代の同級生と3人で「マイ・ペース」の前身グループを結成。

その後、「マイ・ペース」と改名し、名古屋で活動していたが、74年に「東京」でデビューすると、いきなりミリオンセラーを記録した。

森田さんを取材したことのあるベテラン記者が回想する。

「『東京』という曲は、東京に暮らす女性と、地方に住む男性の切ない恋愛の歌で、森田さんが実体験をもとに作った歌でした。ヒット当時、森田さんはモデルとなった女性と交際していたので、その女性は大ヒットをとても喜んでくれたそうですよ。ただ、その後は別れてしまい、別々の道を進んだようですが」←悲恋なり!。゚(゚´Д`゚)゚。

「マイ・ペース」のメンバーも別々の道へ進んだ。

「東京」は大ヒットしたが、芸能界志向ではなかった3人はうまく業界の波に乗れず、数年で1人が脱退。

その後は森田さんら2人で活動をしていたが、歌だけで生活するのは厳しく、森田さんはやがて裏方に回り、制作会社で音の打ち込みなど音響の仕事をしていた。

裏方の仕事を楽しんでいた森田さんだったが、99年頃からまたライブハウスで歌うようになり00年、22年ぶりにソロでCDをリリース。

10年には「マイ・ペース」のオリジナルメンバーで活動を再開していた。

先のベテラン記者は、

「大ヒットした当時、3人は恵比寿駅近くのマンションで一緒に暮らしていました。2段ベッドで寝起きし、つましく自炊をしていたそうです。当時は山口百恵や桜田淳子らが活躍していた時代。特に桜田淳子は同じ秋田出身だったので、仲良くしてくれたそうで、森田さんは『かわいかったですよ』と懐かしそうに話していました。『マイ・ペース』のほかの2人はグループを離れた後、大企業に就職したり、レコード店の店長をしたりしていたそうですが、3人の絆は深く、よく連絡を取り合ったと森田さんは語っていました」

確かにそうだったのだろう。

メンバーのひとりが森田さんの最期を看取った、と報じられた。

訃報に接し、あの素朴な歌声をまた聴きたいと思った人は多いのではないか。

(アサ芸プラス発)












YouTubeのマイ・ペース「東京」には、お悔やみの言葉が散見されます。

慎んでご冥福をお祈り致します。



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