2022/1/9 Sun 01:17
女子学生が三原山火口で投身自殺を遂げた1月8日★学友二人の投身自殺に立ち会った女子学生の見届け人がいたことに社会が騒然!…の巻





話題:一般ニュース







1933年1月8日は、実践女子専門学校の学生・真許三枝子が、同校に通う友人、富田昌子の立ち会いのもと伊豆大島の三原山火口で投身自殺を遂げた日である。

だがこの自殺には奇妙なストーリーがあり、翌月の2月11日にも、富田の立ち合いで、同じ場所から、同級生の松本貴代子が投身自殺したのである。

真許の件は松本の自殺の際に明らかとなり、その結果、2件の“自殺の見届け人”となった富田の存在がクローズアップされ、社会を騒がせることとなった。

そして、この奇妙な事件から三原山が自殺の名所と化すこととなり、この1933年だけで125人が投身自殺をし、900人以上の自殺志願者が保護されることになったのである。

富田昌子自体、二人の友人の死を見届けたこと、そしてその事実をマスメディアに報道されたことにより精神に異常をきたし、同年の4月29日に急死しているため、この奇妙な見届け行為の経緯は不明となったままである。

しかし、この1933年頃はその後にアプレゲール犯罪が若者層に流行するなど、若者層に厭世的な機運が流行していた時期であり、自殺者も一際多かった。

松本貴代子は前年に旅行で訪れた三原山の美しさに魅了され、そこを自らの死に場所として選択したというが、その親友のみならず、100人以上までもの同士を巻き込むことになるとは、夢にも思わなかったであろう。

(覚醒ナックルズ発)










■アプレゲール犯罪

アプレゲール(仏: après-guerre)とは「戦後派」を意味し、日本語では「アプレ」と略される場合もある。

日本で省略形の「アプレ」という言葉が流行したのは、第二次世界大戦後である。

戦前の価値観・権威が完全に崩壊した時期であり既存の道徳観を欠いた無軌道な若者による犯罪が頻発し、彼らが起こした犯罪は「アプレゲール犯罪」と呼ばれた。

また徒党を組んで愚連隊を作り、治安を悪化させた。

このような暗黒面も含めて、「アプレ」と呼ばれるようになった。



■日本のアプレゲール犯罪

光クラブ事件(1949年11月24日)

鉱工品貿易公団横領事件(1950年4月19日) - 早船事件とも呼ばれる。

金閣寺放火事件(1950年7月2日)

日大ギャング事件(1950年9月22日)

築地八宝亭一家殺人事件(1951年2月22日)

バー・メッカ殺人事件(1953年7月27日)

カービン銃ギャング事件(1954年6月14日)






なんで学友の自殺に立ち会える?

しかも、二人も。

理解不能なり。(´д`|||)



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