「っ!しま……ッ」
障壁を。
駄目だ、魔力が足りない。
どうする、どうする。
せめて、時間稼ぎを。
まとまらない思考のまま迫る竜の腕を見つめることしか出来なかった。
―― 刹那。
シストの体をやすやすと吹き飛ばせそうだった竜の腕は、鋭い音を立てて、弾かれた。
その衝突の衝撃でシストは地面に転がる。
一体、何だ。
自分は、障壁など張っていない。
フィアか?
否、彼も此処まで強力な障壁は張れないはずだ。
ならば、一体。
「良かった。間に合いましたね」
聞こえたのは穏やかな声。
ふわり、と風に靡くのは真白の白衣と長い緑髪。
その主は、自身の武器である銀色の弓を構えると、眼前の竜に向かって魔力の籠った矢を放った。
流星のように降り注ぐ矢に、竜は唸り声を上げ、一度空に逃げる。
それに追撃を加えることなく、緑髪の青年はシストの方を振り向いて、微笑んだ。
「ジェイド様……!」
体を起こし、彼の名を呼ぶシスト。
その姿を見て翡翠の瞳を細めたジェイドは、軽くシストの頭を撫でた。
「遅くなってしまいましたね。
アンバーの魔術が発動すれば、炎豹の騎士もすぐに来ます。
貴方たちが怪我をしていないとも限らなかったので一人で空間移動が出来る僕だけ先に来ましたが……良かった。大きな怪我はしていないようですね」
安堵の表情を浮かべたジェイドはもう一度シストの頭を撫でて、言った。
「よく一人で戦いましたね。ここからの援護は任せてください」
もう魔力が尽きかけているのでしょう?
的確に指摘されて、シストは視線を逃がす。
「し、しかし……」
ジェイドは正直、戦闘が得意な騎士ではないはずだ。
医療部隊長としての腕は信頼しているが、こんな大型種相手に、既に消耗している自分と共に戦うことで、彼を危険な目に遭わせてしまうのではないか。
そんなシストの迷いや恐れを感じ取ってか、ジェイドはいつも通りの穏やかな笑みを浮かべて見せた。
「大丈夫。貴方が攻撃を加えてくれていたお蔭で、大分ダメージを受けているようです。
私が弓で援護をしますので、貴方は剣で攻撃を」
できますね。
そんな信頼の籠った言葉に、シストはアメジスト色の瞳を幾度か瞬かせる。
そして、力強く頷いて見せた。
「……はい!」
一つ、息をしてシストは剣を構え直す。
そしてもう一度、竜に向かって跳んだ。
援護は任せてほしいという言葉通り、ジェイドは次々と魔力を放った矢を放っていた。
降り注ぐそれは決して大きな威力を持つ訳ではない。
しかし竜を翻弄するには十分だった。
鬱陶しい矢の雨に竜は幾度も首を振り、声を上げる。
効いているかわからないと思っていた攻撃は、ジェイドの言葉を聞いてから、きちんと意味があったことを理解した。
確かに、竜の鱗の硬さは大分弱まっている。
剣で切りつけた感覚は確かにあり……嗚呼、これならば、そう思えるようになっていた。
竜が攻撃を仕掛けてきても、ジェイドが障壁で守ってくれる。
その安心感は確かにシストを戦いやすくしていた。
竜の方も、形勢逆転を悟ったのだろう。
シストの攻撃から逃れるように、空へ舞い上がった。
ジェイドはその姿を見て、翡翠の瞳を細める。
「……飛ばれてしまうと厄介ですね」
大人しくしていてくださいな。
そう呟いたジェイドは手を竜の方へ翳した。
「!茨が……」
刹那、それに呼応するように地面から伸びた茨が、竜の方へ向かう。
逃れようとするその巨躯を捉えた茨は、竜の動きを止め、地面へと引きずりおろす。
まるで地面に縫い付けられたかのように、竜は動きを止める。
「地面でなら……っ!」
シストは強く地面を蹴り、竜に斬りかかる。
彼の剣が捉えたのは竜の左目。
鋭い斬撃に切り裂かれ、ぱっと鮮血が舞う。
視界を奪われたことに激高したらしい竜はブレスを吐いた。
ジェイドの障壁でその身を焼かれることはなかったが、衝撃で吹き飛んだシストは地面に転がる。
「シスト!」
「っ、平気です!」
ジェイドに素早く返し、シストは体勢を整える。
竜は怒り狂いながらも冷静に"元凶"を残された右目に捉えた。
翡翠の瞳の魔術医はそれを冷淡に見つめ、微笑む。
「おや、僕に狙いを定めるとは、賢いですね」
ぐわりと開かれる竜の巨大な口。
そこから放たれるブレスをよける素振りを、ジェイドは見せない。
「届きませんよ」
展開される障壁。
薔薇の花の香りがぶわりと広がる。
ブレスに焼かれ、はらはらと舞い散る花弁は、まるでダンスでもしているかのように優美で……戦闘のさなかだというのに、シストは思わず目を奪われる。
ブレスでは効果が薄いと悟ったのか、大きく体を捩り茨の拘束を解いた竜は鋭い爪を振り上げる。
そして脆くなった障壁を狙い、風を切りそれを振り下ろした。
花弁が散る。
シストは大きく目を見開いた。
「ジェイド様!」
状況が見えない。
駆け寄ろうとしたシストは、花弁と土煙の向こうに二つの影を見た。
「タイミングをはかったかのようですね」
「おい、助けに入った元相棒への言葉がそれか?」
竜とジェイドの間に立っているのは茶の髪の青年。
鍛え抜かれた体躯に似合う大振りの剣で竜の爪を受け止めた彼は、ジェイドの言葉に眉を寄せていた。
不服そうな顔をする茶髪の青年を見て、ジェイドはくすくすと笑う。
「ふふ、冗談ですよ。ありがとうございます、アレク」
「アレク様!」
勇ましい、戦闘部隊長。
その姿にシストは安堵の表情を浮かべる。
先刻一人で戦っていた時は正直もう駄目かと思っていたのだ。
「よく頑張ったなシスト!ま、俺が居なくても何とかなりそうだったが……援護に来たぜ!」
明るい太陽のような笑み。
それを見て、ジェイドは眩しそうに目を細める。
「一人で来た訳ですね」
「お前が先に来てるなら俺一人で十分だ、そうだろう?」
人間を思った通りの場所に空間移動させることは魔力の消費も大きく、集中力が必要だ。
アンバーに無理させる理由はない。
そんなアレクの言葉にジェイドはふっと笑った。
「まぁ、確かにそうですね。丁度、"あちら"も終わったようですし」
ジェイドはそう言って、視線を村の方へ向ける。
つられてシストも視線をそちらへ向ければ……
「シスト、無事か!」
「フィア!」
駆け寄ってくる、亜麻色の髪の騎士。
それを見て、シストはほっと息を吐いた。
「避難は終わったんだな?」
「あぁ、皆無事だ……って、ジェイド様、アレク様?!」
思わぬ援軍の姿に、フィアは驚き目を見開く。
其方へひらりと手を振って見せたジェイドは軽くウィンクをして見せた。
「ふふ、後輩たちにばかり良い恰好をさせる訳にはいきませんからね。さぁ、とどめといきましょうか」
ジェイドはそういうと同時、先刻同様に茨の蔓を竜に向かって伸ばした。
その四肢を、体を、地面に縫い留める。
怒り狂い、もがく竜も必死だ。
く、と息を詰めたジェイドは傍に立つ相棒へ声をかけた。
「っ、そう長くはもちません、アレク!」
「任せろ!」
ジェイドの横を駆け抜け、アレクは大振りの剣を振りかぶる。
強く地面を蹴った彼はジェイドの茨を足場に竜の背まで跳び上がると、そこに鋭い一撃を加えた。
彼の剣が切り裂いたのは、大きな竜の翼の付け根。
悲鳴じみた咆哮が、響き渡る。
瀕死の体でもがいた竜は、機能を失ったその翼でアレクの体を弾き飛ばした。
「ちっ」
空中でバランスを崩したアレクはシストの方へ向いて、叫んだ。
「もう此奴は飛べない、後は任せた!」
落下しながらも、彼は笑っていた。
傍に居る相棒を信じて。
「もう、無茶をして」
柔らかな薔薇の花弁で彼の体を受け止めながら、ジェイドは溜息を一つ。
アレクはにっと笑ってみせた。
信頼し合う、パートナー同士。
その姿を見て、シストはふっと笑った。
そして、隣に立つ自身の相棒を見る。
「魔力で援護する、いけシスト!」
「おう!」
地面を駆け、跳び上がる。
崩れ駆けたジェイドの茨を足場に、竜の首元を目指して。
足元を、体を、剣を包む、冷たく鋭く、けれども優しい風。
それが他でもないフィアからの援護であることを知っているのは、きっと自分だけだ。
「っ、おらぁあ!」
狙いを過たず放たれた斬撃では、迷いなく竜の首を捉えていた。
***
「ん、う……」
小さく呻いて、目を開ける。
霞んでいた視界が、すぐに開けてくる。
そこに映るのは、青空。
……青空?
記憶が脳を巡る。
先刻まで自分は竜と対峙していて。
確かに剣を振り上げたはず、なのだが。
「っ、竜は?!」
思わず飛び起きて、シストは声を上げる。
すると、隣から冷静な声が飛んできた。
「大丈夫、お前はちゃんと仕留めたよ。お前が意識を失ったのはその後だ」
その声は他でもない、相棒……フィアの声。
彼は至極冷静にある方を指さす。
其方へ視線を向ければ、確かに倒れ、動かなくなった竜の骸があった。
どうやら、とどめを刺した後自分は意識を手放したらしいとシストは理解する。
「はは……恰好つかないな」
「寧ろあれだけ魔力を消費した状態でよく動けていたとジェイド様は感心していたがな」
彼が言うには(魔術医の診察結果らしいが)自分は相当魔力を消費しており、本来ならば動けなくなっていても可笑しくない状態だったのだとか。
そんな状況で剣を振るい、とどめを刺すことが出来たのは、偏に仲間を、村を守ろうという責任感だったのではないか、とのことだった。
「死んでいても可笑しくなかったそうだ」
無茶をするな、とフィアに睨まれる。
いつもは逆の立場なのにな、と思いながらシストは肩を竦めた。
そんな彼の顔を見て、フィアは溜息を一つ吐き出して、言葉を紡いだ。
「だが、お前のお蔭で村に被害は出ていない。多少家屋の損壊はあるが、あの程度ならばすぐに復興するだろう」
「そうか、良かった。……本当に、良かった」
シストは心からそう言って、一つ息を吐く。
フィアもその言葉に頷いて、少しずつ賑やかさを取り戻していく村の方へ視線を向けた。
柔らかな風が吹き、二人の髪を揺らす。
「ありがとうな、フィア」
シストが紡いだのは、そんな言葉。
フィアは怪訝そうに眉を寄せた。
「何故俺に礼を?村人の避難はあくまでも竜が来ないか見ながら促していただけで」
「違うよ」
確かに村人を避難させてくれたことにも感謝はしているがそちらではない、とシストは言う。
一層怪訝そうな顔をするフィアを見つめ、シストは笑った。
「俺を信じてくれてたこと」
自分の言葉を聞いて彼は村人の避難を優先してくれた。
それは、彼が自分を信じてくれたことに他ならない。
だからありがとう、とシストは言う。
その言葉にサファイアの瞳を見開いたフィアは一瞬でその白い頬を赤く染め、そっぽを向いた。
「……気恥ずかしいことを言うな」
ぼそりと呟くように言った彼は視線を戻そうとしない。
アンティーク・ドールのように見えるその顔に表情が灯るのを見て、シストはくすくすと笑いを零したのだった。
―― 信ずるものは… ――
(あぁ、信じるに決まっているだろう。
俺にとってお前は唯一無二の、相棒なのだから)
2022-5-7 21:31