睡眠導入剤
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2014/3/30 Sun 14:53
二人のおばあちゃん

私の祖母は父方も母方も健在だ。
母方の祖母は手仕事が好きで、和裁や洋裁で家計を助けていたくらいの腕前だった。
もちろん編み物も得意。小さい頃私が大好きでいつも持ち歩いていたぬいぐるみにカーディガンを編んでくれたっけ。
私の振袖は祖母作のもの。艶やかで華やかな着物は私の自慢だ。

父方の祖母は書道が得意だ。
大人(60歳くらいだったかな?)になってからカルチャー教室で習い始めたようだが、それでも努力家なだけあって本当に達筆である。
私が高校を卒業した時に『希望』という字をしたためて贈ってくれた。
それはいまだに大切にとってあって、時々その美しい字を眺めては感嘆する。

そんな私のおばあちゃんは、今認知症なのだ。
父方の祖母は自分で歩くこともままならず、施設に入所中。
もう私に会っても誰かは分かっていない。
母方の祖母は物忘れが多いけれどまだ現実に起こった出来事の認知はそこそこ出来ている。
私や家族、近所の人たちの見分けは付くし身の回りの支度なども出来る。
でも多分もう和裁は出来ないだろう。やり方が思い出せないらしい。

認知症は罹患した人のQOL(生活の質)を著しく下げると思う。
二人のおばあちゃんは以前は出来ていた事がどんどん出来なくなっている。
『老化』という言葉では片付けられないくらいの速いスピードで、出来ていた事が出来なくなり覚えていた事を忘れていく。
悲しいのは出来ない自分、失敗する自分、忘れていく自分をまざまざと見せ付けられ、自身の持つ、人が当然持っているプライドを傷付けられ、心が傷付いていくことだ。
しかも今の医学では治せない病気であるがゆえに、そうやって『何も出来なくなっていく自分』を止める術すらない。
また、子供ならば今日失敗したことを学習し明日に成功させられるかもしれない希望があるが、それすら無いのである。
ただ忘れていく自分を出来なくなっていく自分を失敗する自分を、自分で責めながら、そうして傷付きながら見ているしかないのだ。
あんなに苦労して戦前戦中戦後を生き抜いてきたおばあちゃんたちが人生の終着点を目前にしてこんな悲しみの中にいることが悔しい。
母方の祖母がうちに来たら、暖かく穏やかに過ごしてもらえるようにしたい。
この病気を治す術すら持たず、ただ見守ることしかできない無力な孫は、おばあちゃんの幸せと平穏を願うしか無いのである。

話題:病気



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