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学校も休学したことでほぼ毎日バイトをしていた

友人たちは学校に行っているのでほとんど遊ぶこともなかったと思う

学校で感じていたストレスから解き放たれ服薬して自分をコントロールしていた

だからバイト→推し→バイトというのを繰り返していた

至って精神的にも健康に生きていた

それでも双極性障害になったということは躁のときと鬱のときが勝手にやって来る

私は鬱八割躁二割のほぼ鬱状態であった

鬱のときはトイレ以外ベッドで過ごしていた

ご飯も水も飲まないでただベッドで横たわりぼうっとしていたり泣いていたりしていた

私の生きる意味は推しだった

だから少し鬱っぽいなという日でも薬を飲んでイベントに通っていた

ライブをみて特典会に一回参加すると無性にしんどくて帰った日もあった

※いつもは時間一杯まで並び直し特典会に参加していた

これ以上推しにあっても私の無性に感じていたイライラをぶつけてしまう可能性があるとも思っていた

それでもうまく薬を飲んでイベントに通い、私自身自傷行為などはなくなっていた

バイトと推ししかなかったためイベントにいく回数も自然と増え私の中の推しの存在は大きくなっていた

そのため同担と言われる私と同じ推しを応援する人のことがとても嫌いだった

私がもっと会いに行ったら同担が推しに会う回数減るとアイドルからしたら迷惑な発想でおたくをしていた

友人を連れていって並び直す回数を増やしたり、リリースイベントでは大量のCDを買いずっと推しの列に並んでいた

今思うと迷惑極まりないおたくだった

この辺りから金銭感覚がおかしくなっていき貯金をすべて使って生活するようになる

どんなに迷惑であってもこれは私の本当に歪んだ愛情表現の一つだったのではないかと思う

私の全部で推しのことが好きだった
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8

推しと出会って一年

私はただのおたくとして無理のない程度に通っていた

だが、もともとメンヘラ気質の私は学校などで病む?落ち込んでしまい自傷行為や希死念虜が強くなり学校に通えなくなった

そのとき精神科に受診し双極性障害と診断され学校を一年休学することになった

最初は私にとっての人生で初めての挫折だったということもありショックだったがバイトをしたり休息をすることで元気にはしていた

双極性障害のことを誰かに話すとやはり少し距離を置かれることがあった

あまり身の回りに多いものでもないし未知なものに接することは難しかったのかもしれない

それなりにショックを受けたりしたがいたって落ち込むこともなく過ごしていた

診断されてから推しに会ったとき私は病気だったみたいと打ち明けた

推しは「まあいいじゃん」と軽い感じで受け入れていた

もともとメンヘラ気質だったし病気と診断されたしても私はなにも変わってない

推しが軽く受け入れていたのは私として1人の人間として認めてくれているようで嬉しかった

推しも自分のことを重いなどと言うことがあった

受け入れてくれる環境が私にとっての居心地がよかった

その後、マネージャーにも打ち明けると私も薬とか飲んで調整してるんだと教えてくれた

環境として小さなコミュニティではあまり病気などは受け入れてもらえないし否定されることもある

だが、少し外にでて違うコミュニティにいるだけでいろいろな人がいて意見をもらえた

おたくになったことでわかったことである

病気っていうと私にとっても足枷であった

私自身普通になるのが中学生のころから思っていたことである

目立たず平凡に生きてたかったって病気になったとき思った

でも、推しや他にもたくさんの人に言葉をもらって私の人生だしなあと考えるようになった

今は私の人生っていう気持ちが強すぎて面倒な性格になってしまったがそれはまあ受け入れていきたい

病気になって休学して少しでも落ち込んでた私を元気にしてくれたのは推しの軽く言った言葉であった

病気があろうが私であるということを推しが思い出させてくれた
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推しの生誕を終えると私の誕生日があった

一度推しに誕生日を聞かれてから誕生日の一月前くらいにもうすぐ誕生日なんだと言ったきりだった

その年は奇跡的に私の誕生日にライブイベントがあった

なんて幸せ者なんだと思いいつものように1人でライブを楽しんでいた

その後は特典会に参加し推しに会った

推しは「◯◯誕生日おめでとう」と言った

私は覚えてくれていたことにびっくりした

この時くらいから推しのグループは少しずつ売れてきておたくも多くなってきていた

そんなたくさんのおたくの中私の誕生日を覚えてくれて伝えてくれたことが嬉しかった

私は「覚えてくれてたんだ、ありがとう嬉しい」と伝えた

推しは「実はねスケジュールに◯◯の誕生日って書いたんだ〜」といつものように間延びした話し方で言った

推しとはおたくとアイドルの関係でありそこに関しては意識していた

それなのに推しの私生活に私が少しでも入り込めたことがなによりも嬉しかった

推しがそこに書くことを許したということが嬉しかった

そのときは多分語彙力もなくなり「うれしいうれしいありがとう」と伝えていたと思う

※記憶は不鮮明

なんて幸せな誕生日だと思いながら気分は上々だった

いつものようにその後メンバー全員とのチェキがあったので並んだ

私の順番が来たとき推しがメンバーに向かい「今日◯◯誕生日なんだよ」と言った

すると急に誕生日ソングが始まり推し、メンバー、周囲にいたおたく達が歌ってくれた

私は恥ずかしさが大きかったが喜びと推しに感謝の気持ちであった

今思い返してもなかなか感じることができない幸せな空間だった

その後特典会が終わり帰宅しようとするとマネージャーに呼ばれた

マネージャーとは仲が良く話すことも多かったので近くに行き話を聞こうとした

すると、「誕生日おめでとう」と言われメッセージつきのお菓子をもらった

こんなものもらってもいいのかと確認した

「◯◯のことすきだからね」と言われた

言うことやることがイケメン過ぎた(落ちた)

ありがとう大切にすると伝えて会場を後にした

私は言うことは少なかったが死にたいと何年も思ってきていたため生まれた日に関しては特に興味もなかった

友人からサプライズされること、プレゼントや手紙は嬉しいと思っていたが、私自身が生まれた喜びや親への感謝はなかった

でも、初めて生まれてよかったと思った日は間違いなくこの日だった

私は生んでくれた親に感謝し、死にたいと言いながらも生きてた自分に感謝した

これだけ読むとアイドルごときでと感じる人もいるのかなと思う

アイドルは人によって役割が違う

憧れとして見る人、音楽として見る人、楽しむ場所として見る人、疑似恋愛の対象として見る人、今であれば承認欲求を満たすために応援する人、おたくとのコミュニケーションの場として見る人、様々である

私は未だに推しにどの感情を抱いていたのかはわからない愛していたし大好きだったけど付き合いたいなどの感情はなかった

私にとって間違いなく世界で1番輝いていた推しをずっとおたくとして応援していたかったのかもしれない

まだわからない感情だが、この感情のおかげで私はたくさんのことを経験し生きたと思う

人によってアイドルの役割は違い、でも間違いなくなにかの影響を与えてくれるのがアイドルであると思う

だからもしこの文章を見てくれるのであれば一度でいいので何のかたちでもいいのでアイドルを見ていただきたい
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6

それからと言うものの推しには1ヶ月に二回〜のペースに会いに行っていた

ここで私の性質についても話したい

この性質が推しにどっぷりはまった理由にもなったと思う

私はなにかに対していつも依存的である

幼少期からコレクションすることであったり、同じものを食べ続けたりする

だが、私は友人や恋人には依存しなかった

推しに出会ったときはまだ恋人がいたが(後に別れる)全く依存していなかったと思う

連絡も気が向いた時に返信するのみ、会うのも推し優先で空いている日のみなどと今考えるとこれを受け入れていた恋人は偉いと思う

無償の愛はどうも信じれない性格だった

友人や恋人からも好意を受け取っていたし私も好意があれば返していた

でも、タダの好意はいつか消えてしまう保証のないものだと考えていた

だから、推しにお金を払い会い受けとる有償の愛が私にとっての信じられる愛であった

お金を払う分愛をもらえることは対価であると思っていたし誰かを少しでも支えることができることは私の喜びだった

依存性が高く無償の愛を信じることができない私はなにかに依存していないと自身の価値がないと考えていた

これは今でも継続しているがとても歪んでいる性格であり愛であった

だからこそこの面倒な愛を受け入れてくれていた推しは私にとっての最期の愛してる推しだった

※私は多分俗にいうメンヘラであり、後にうつ病診断も受ける
依存気質だが無償の愛は信じられない裏切られたくない臆病者である
そんな私が出会った推しは同じくらいの言葉で私を慰めてくれていたと思う本当にありがとう
またこの面倒な私とまだ友人として一緒にいてくれる方には多大な感謝といつかは愛を返したい
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5

それからというものの推しのライブに定期的に通い、メンバーからも覚えられるようになった

推しとも少しずつではあるが仲良くなっていたと思う

そんな時、推しの生誕イベントの開催が予定された

私はいつも予定が合わずどのアイドルも生誕イベントは行ったことがなかった

「絶対行く」と今までとは違うモチベーションで思っていたことを覚えている

生誕イベントのチケットは手売りで本拠地→地方の順番で売られた

そのため良番ではあるが最前列が取れる番号を手に入れることができなかった

でも、推しの生誕に行けることだけで嬉しかったためその特別なチケットを大事にしていた

生誕当日、整理番号順に並んでいた

すると隣に並んでいたファン2名が一緒に入りたいので早いほうの番号と交換しましょうか?と声をかけてきた

※整理番号順で入場できるので友人などと一緒に入りたかったら遅い番号に合わせないといけない

ファンの持っていた番号は一桁台で最前列を取れる番号だった

私は「いいんですか?」と確認しチケットを交換した

その後、列に並び直し入場した

無事最前列を確保することができた

ライブが始まり相変わらず推しを眺めていた

生誕イベントではソロ曲が初披露となりMC終了後推しは1人でステージに立った

推しは自身で作詞した曲への思いを語り、ソロ曲を歌った

私は歌詞をしっかり聞き取りながら最前列でずっと推しを眺めていた

いつの間にか私は泣いていた

私は推しのことが好きだったが所詮アイドルとおたくの愛情表現など伝わってもいないと思っていた

でも推しのそのソロ曲は私含めおたくに書かれており推しのアイドルとしての気持ちが伝わった

最前列で情けなく泣く私をソロ曲を歌いながら泣く推しが見る

目があった瞬間このときが続けばいいのにと感じた

その後、メンバーとソロ曲を歌うことになりまだ涙が引かない私を見てメンバーが笑っていたこともいい思い出となっている

特典会に並び、推しと話した

「◯◯、泣いてたね今日は来てくれて本当に嬉しい」と言われた

恥ずかしいなあと思いながら本当におめでとうと伝えた

何回も並び直ししてチェキを撮ったのだが生誕ではそのメンバーの列が長くなり接触する時間として短くなるため私はなにを話すか考えていた

プレゼントとともにもう一度誕生日おめでとう、愛してると伝えた

おたくからの愛してるなんて聞き慣れているだろうし、気持ちが悪いものかもしれない

だが、私の愛してるは全く言うつもりのなかったものだった

私は愛してるという言葉は前の推しもましてや恋人にさえ言ったことがない

愛してるという感情がわからなかったし、誰に対しても永遠はないと考えていたため保証のない言葉を言うのは自分自身嫌だったからだ

ついでてしまった愛してるに推しは「知ってるよわたしも愛してるよ」と返事した

アイドルなんだからリップサービスだとわかっている

だが、私の愛してるを受け入れられたことそれに答えてくれたことすべてが嬉しいものだった

その言葉を何回も頭の中でリピートしながら次はメンバー全員でチェキを撮った

メンバーは「◯◯泣いてたね〜」などと話していた

私も見られて恥ずかしいなどと答えメンバーたちとも和気あいあいとした時間を過ごした

初めてのアイドルの生誕を見て感動した

アイドルではなく推しだったからかもしれない

推しは私のことをどう思ってるかなど今でもわからない

だが、この一日は私にとっての幸せを共有できた日だったと思う
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