(*´З`){Boo

2015.10.18 Sun 01:07
おばあちゃん

10月14日の水曜日、朝の8時26分に祖母が亡くなりました。
そのことを忘れないように書いておくことにします。

10月の最初の水曜日に伯母から危ないかもって連絡がきたので、急いで休みをもらって広島に行きました。
この時、兄にも連絡して一緒に来てもらいました。
兄は親が離婚してからまったく広島の伯母、伯父、祖母に会ってなかったから約17年ぶりの再開でした。
おばあちゃんは、起きてるときは起きてるんだけど、ほとんど動かなくて、息をしてるだけの状況でした。

1ヶ月半くらい前に手術で、食べる力がないから胃に直接栄養を送れるように管を通したんだけど、栄養が行き過ぎて皮膚がんが成長してしまい、治す力もないし治療も辛いから もう栄養を送らないことに。
栄養を送らないってことは食べてないのと一緒だし
延命治療しないで自然に亡くなるのを待つことを伯母が判断してくれました。
私はあいてる時間があれば、ずっとそばに居て呼吸が止まったら様子を見て 手を握ったり、肩を揺すったり、おばあちゃんは口を開けてないと息が出来ないのに、何故か口を閉じるので「おばあちゃん、息して」って話しかけながら顎を下げたりしてました。
介護してくれてた伯母と夜に弱い母だから夜は私一人でおばあちゃんのそばにいました。
呼吸は止まるけどちょっと待ってたら息をするから大丈夫でした。
おばあちゃんと二人きりのときに、思い出せる限りのおばあちゃんのことを考えいたら良く笑う人だったな。とか、こんなに長いこと手を握ったのは初めてだな。おばあちゃんが元気なときにもっと手を握ってあげてたらよかった とか、良く喋る人だったのにもう何も喋れないんだな。とか、私が大阪に帰るときには足が悪いのに、松葉杖を使って歩けるとこまで来てくれて窓から「気をつけて帰ってね」って見送ってくれてたな。っていろいろ考えると涙が止まらなかった。
結局、1時間後にかわるからって言って寝た母は起こしても起きてくれず、0時から4時過ぎまで一人で居て、それから様子を見に来てくれた伯母と交代しました(笑)

8、9、10と広島にいたんだけど、今のままだったらおばあちゃんも大丈夫だろうってなって、私も仕事があったから一人で先に大阪に帰りました。(兄は1日だけ泊まってすぐ帰って行きました)
帰るときに「おばあちゃん、大阪に帰るね」って言ったらおばあちゃんは、ちゃんとこっちを見てくれてました。これが最後でした。


12日の夜に母が大阪に帰ってきたんだけど、母が帰る頃には、おばあちゃんの握る手の力も弱くなってきたし、呼吸も浅くなってきたし止まる回数も増えたから、もうそろそろかも。と聞いていました。
次の日の13日の夜に伯母から電話で明日くらいかも。と連絡が入ったので、14日の出勤するときに一応、荷物を準備して行きました。
私が通勤で電車に乗ってる時間だって知ってた母は、メールで 8時26分だったって。と短い文章を送ってきました。それで理解して、電車の中だったけど涙が止まらなくてハンカチ押し当てて電車の中で泣いたの初めてでした。
それから社長に話してお昼過ぎにあがらせてもらって、13時頃に母と合流し、新幹線に飛び乗り14時過ぎに家につきました。
玄関から左側を覗くと部屋なんだけど、よくドラマで見たような白いハンカチが顔に乗せてあって見たとたんに また涙が。
覚悟して行ったけど、目の前で見ると凄くきつかった。
「おばあちゃん」って言葉を言うのが辛くて、声が出なかった。
それからいろいろお坊様が来たり、バタバタしてて落ち着いてから、夜におばあちゃんの側にいたら、伯母が「なっちゃん、もうおばあちゃんの側に居んでもいいんよ。もう、呼吸止まる心配しなくていいから大丈夫よ。ありがとう。だからちゃんと休んで」って言われたときに、ああ、おばあちゃんはもう息してないんだな。って思ったらまた涙が。
それから伯母と母と3人でおばあちゃんの体を拭いてあげました。手も足も全部が細く小さくて、冷たくて、私が小さかったときに見たおばあちゃんより弱々しかった。

次の日は、4時に起きて親戚がくるから準備したり8時過ぎには、いとこの子供送ったりしてお昼頃にお坊様が来てお経よんでくれました。そのあとは、火葬場まで行ってほんとに最後のお別れをしました。
おばあちゃんの骨を拾って親戚の人達は帰っていき、小さな箱に入ったおばあちゃんを家まで連れて帰りました。

伯母はおばあちゃんの治療方法を全部決めてくれたんだけど、お医者さんに「この(無理に治療せず自然死を選んだ)選択は間違いじゃないですよ」って言ってもらったときの、安心して涙を流してた顔が忘れられない。ずっと一人で悩んでたんだなって辛かったんだなってこの時やっと理解しました。
母は、ずっとおばあちゃんのことを気にしてたけど、大阪で仕事があるし生活もしていかないといけないから、介護は伯母に任せっきりだったし、大阪に連れていってあげるって言ってたみたいだったんだけどそれが叶わず。悔し泣きしてました。

身近な人で亡くなるのはおばあちゃんが初めてなんだけど、人が亡くなることがこんなにも辛いものだったんだなと思い知りました。
足が悪かったおばあちゃんが天国で行きたいところを自由に歩きまわれてるのを願っています。





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